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235 (再)ポンプのお話①メインポンプ

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  井戸の次はその中に座っている水中ポンプ。これが当館のメインポンプである。本来なら昭和59年の新築時に、井戸の近くにポンプ室を造り、普通のポンプ(陸上型)を置く予定だったが、なにしろ突貫工事だったし高知市の公園内と云ふこともあって、ポンプ室を造るには制約が多すぎた。そこでそれぞれの井戸に水中ポンプを入れて対応することになったのである。しかしそれは、あくまで“仮設”と云ふことだった。だからこれまでに何度か“地下ポンプ室”への切りかえの話が持ちあがった。しかし予算と高知市からの“地上へ顔を出さない”との注文をクリア出来ずに立ち消えになってしまった。7.5kwの水中ポンプを使い捨てながらの運営は今も続いているのである。(続く)

  ポンプ室を砂浜の地下に作るのは問題ないが、出入り口はどうしても砂浜に顔を出す。その部分の場所と形が、どうしても高知市のOKをもらえなかったのである。
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234 (再)井戸のお話⑫井戸の場所

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  桂浜にある5本の井戸は“景観に配慮”との高知市からの要請で、20cmほど砂に埋めるように設計されている。けれども砂の移動(減少)によってNo.1と2は砂浜から顔を出してしまっている。しかし他の3本の場所を見つけるのは大変である。2m四方のコンクリートの上に、直径1.5mの蓋があるかなり大きな物だが、砂の中だとなかなか見つからない。細い鉄棒を砂に差し込みながら探って歩く。コンクリートに当ればカチン、蓋に当ればボンと音がしてホッとする。そこで私は遊歩道上にステンレスのビスを打ち込み、このビスから何m(何歩)と、図面に残してある。今春までは若いのに教えて引きついでもらうようにしていたのだが、急な退社で困惑している。もしも私がポックリ急死でもしたら、どうなることやら。

  特にNo.4井戸は、基点となる歩道から離れているので場慣れしている私でも、見つけるのに時間がかかることもある。

233 (再)井戸のお話⑪井戸掘り(続き)

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  海水面に至ってからは、側(枠)を沈めるペースがガクンとおちる。ゆがみの調整も加わって1m(側1個分)沈めるのに2日以上。深くなると空気ボンベを背負っての潜水作業になるので、主として干潮時を待つのでなかなか進まない。私は深さが気になり「あとどれぐらい掘れそうですか」と度々声をかけながら作業を見守っていた。9個目の側を用意して「この側が収まったら上等の井戸になるよ」と言いながら。ボンベを背負って井戸に入った親方が「あかん!高谷君、岩に当った」と叫んだ。なんとかあと50cmほど掘って欲しいとたのみ込んだが、「ドロドロの中へ潜って砂をかき出すことは出来るけど、大きな岩盤は動かせない」とのことで結局No.1・2井戸は側8個(8m)までしか掘れなかった。ふだんは大丈夫だが、冬場の大潮時には干あがり(53潮番)を覚悟しなければならなくなったのである。

  8mは昭和4年制の井戸と同じ深さなので、冬場の大潮時の渇水は避けられない。

232 (再)井戸のお話⑪井戸掘り

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  順が逆になってしまったが、井戸掘りのお話も。先々代の館長に聞いたりして、知識としてはわかっているつもりだったが、実際は随分違っていた。それは当館の井戸が“砂浜”に掘られた“海水井戸”だからであった。普通の井戸なら、水脈を探して土砂を掘り進むが、海水井戸の場合は水脈の心配はいらない。しかし崩れやすい砂を掘るので、次々とまわりから崩れてくるアリ地獄状態の中を掘り進めねばならない。掘っても掘っても崩れてくる砂と戦いながら、5cm・10cmのペースで井戸側(枠)を沈めてゆく。せまい井戸側の中でバケツに砂を入れ、上の係が電動ウインチで巻き揚げる。3日余りで6個の井戸側をつないでいったあたり(6m余り)で海水面に到達し、水中の作業になる。ここからが難関なのである。(続く)

  私なら気が狂いそうな“蟻地獄状態”の作業を井戸屋さんはもくもくとこなしてゆく。

231 (再)井戸のお話⑩穴あけ

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  冬場の干潮時の渇水対策を考えていて、井戸側(枠)に穴をあけてみることを思いついた。夜中の大潮の干潮時に井戸に入り、コンクリートドリルで10mmの穴をあけてみた。ポンプの稼働中は水位が40cmほど下るので、その分の水が出てくれると信じてあけてみたら、毎分10ℓほどの水が噴き出した。「ヤッタ」と思って1本3~5分かけて、2時間余りで30本ほどの穴をあけると、井戸の中の水位は20cmほど上昇した。大成功と思って大喜びしたのだが、1ヶ月ほどして干潮時にのぞいてみると、半分以上の穴が目詰まりしてしまっていて、ガックリである。  

  目詰まりした穴には、ドライバーを差し込めば復活はしてくれるが…。、






230 (再)井戸のお話⑨井戸掃除(続き)

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  小砂を効率良く掃除する方法がないか考えた末“水中掃除器”を考案した。直径30cm・長さ40cmほどの塩ビパイプをタンクにして、それをエンジンポンプにつなぎ、水と共に吸い揚げた小砂だけが、タンクに残るように細工した。この方法だと、グリ石ごと引き揚げなくてもよいので大成功!しかし重大な欠点があることもわかった。桂浜の井戸は水面から蓋まで6mほどあり、エンジンポンプの吸いあげ揚程ギリギリなのである。干潮時には、吸い揚げ不能になってしまうこともある。だからこの“水中掃除器”は、井戸の水位が高い満潮時にしか使えない。そうすると井戸の中では、潜って息をつめての作業になる。しかしそれでもこの方法だと、ニゴリも出ないし短時間で終えることが出来るようになったのである。

  水深2m以上の所での作業になるが、ニゴリが出ないのが最大の利点である。

229 (再)井戸のお話⑨井戸掃除(続き)

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  井戸掃除は私が井戸の底に入りM(北海道出身・平成20年退社)が上でバケツを引き揚げる係をしていた。井戸は内径1.3m。もしも上から何か落とされたりしたら逃げ場はない。だから上にいる者を信頼していなければ中には入れない。しかしながら私はMに嫌われ???ていたようである。度々井戸の中で攻撃を受けている。ある時「あっ」と大声がしたとたん、目の前にドライバーが落ちてきた。それ以後「あっ」を聞いたら水中に潜るように心がけた。遅れてしまって肩に小石を受けたこともあれば、頭に当ったけど水中だったので大丈夫だったこともある。一番あぶなかったのはロープが切れてグリ石入りのバケツが落ちてきた時。幸い私には当らなかったが、Mは平あやまりだった。しかしそのロープは私がセットしたものだったので、責任の大半は私のほうにあったようである。(続く)

  コンクリートの角に当たると簡単に切れてしまうような、古いロープでセットしたのは私だったのである。

228 (再)井戸掃除

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  井戸の底に砂が吹き出せば、ポンプに悪影響が出ることは十分想像出来た。だからポンプの入れ替えの度に井戸の底に潜り、吹き出した砂を掃除した。小砂交りのグリ石をバケツにすくい、いったん井戸の上に引き揚げる。最初の一杯はいいが、その後はニゴリで何も見えない中、手探りの作業になる。バケツ10~20杯ほど引き揚げて、小砂を洗いグリ石だけを元にもどして敷きつめる。最近では道具も工夫して、数年に1回しかやらなくていいようになったが、新築当初は毎年井戸の底での命がけの作業をする必要があったのである(続く)。

  この作業ができるのは私だけ。77歳の今も井戸の底(水深2m)で、息をつめて掃除するのである。

227 (再)井戸のお話⑧パニック

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  平成3年10月9日にNo.3井戸のポンプが止った。症状は漏電なので、メカニカルシールからの海水の浸入により、ポンプは完全に死亡したと考えてポンプ屋さんを呼ぶ。井戸のフタを開けてビックリ!!。そこには一滴の水もなく、井戸の半分まで砂に埋めつくされていた。私はパニック状態「これは何?!」。ポンプ屋さんも「昨日まで働いていたの?信じられない」。その10日ほど前に台風が通過し、井戸の上まで波が打ちかけたが、館内の水槽にはニゴリが少し出ただけだった。あわてて井戸屋さんに来てもらう。この井戸は何度も修理(220③No.3井戸)したあとがあり、その時の横穴から大量の砂が流れ込んだようである。井戸屋さんも「この状態で水を吸っていたなんて、信じられないね。この浜の砂粒が粗いおかげかな」と云いつつ、2日ほどかけて埋もれた井戸を掘りなおしてくれたのである。

  この時の衝撃で枠に亀裂が入ったのかもしれないと思うようになったのである。

226 (再)井戸のお話⑦ポンプ(続き)

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  ポンプの早死にはNo.1井戸でおこることが多いことがわかり、その原因が細い砂粒であることがだんだんわかってきた。確信したのは平成16年のこと。その年は台風がいくつも土佐湾を襲い、井戸の上まで波が打ちかけた。井戸蓋の隙間から多量の小砂が侵入したようで、ポンプは4ヶ月から半年ほどで次々と死んでいったのである。隙間にゴムパッキンを入れて蓋からの侵入はおさえたが、No.1井戸はグリ石の層が薄かったせいで砂の吹き出しが続いていた。ポンプの入れかえにあわせて、自分でグリ石を敷きなおし、砂の吹き出しが少なくなってからは、いずれのポンプも1年半から2年近く頑張ってくれるようになってきたのである。

  水中ポンプは、軸受けに“メカニカルシール”が使用されているが、これに細かい砂が入り込むとシールが破れて、モーター部分に海水が侵入してしまうのである。

225 (再)井戸のお話⑦ポンプ

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  井戸から海水を汲みあげているのは、7.5KWの水中ポンプ。昭和59年の新築当時は検討する時間が足りなくて、一般用(真水用)のポンプで間に合わせた。しかしこのポンプは3ヶ月余りでペラがすり減り、吸水量が半分以下になってしまった。そこで海水用の特殊仕様のポンプに切り替え、年1回メンテナンスしながら使うことにした。この方法で15年ほど回してきたが、メーカーはこの高額なポンプの特殊加工をイヤがり(値上げ)だした。仕方ないので一般用の安いポンプの、ペラとケースの一部だけをステンレスに取替えて、本体は使い捨てにすることにした。1年以上持ってくれれば、特殊仕様のポンプより安くなるのだが、バラつきが大きい。2年ほど頑張ってくれるのもあれば、3~4ヶ月で死んでしまうのもある。しかし経験を積むにつれて、そのあたり(早死に)の原因がだんだん見えてきた(続く)。

  一般用(真水用)のポンプは35万円ほど。いかし海水用の特殊仕様のものは120万円。それを「150万円に…」と言ってきたのである。

224 (再)井戸のお話⑥山井戸

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  ついでに水族館の裏山にある真水の井戸のお話も。この井戸は明治の頃に掘られたとか。昭和30年代に上水道が桂浜に引き込まれるまでは、浜のおみやげ店の命綱であったそうな。しかし裏山はあまり深くないので、湧水量は少なく乾期には水切れに悩まされていたとか。昭和59年のみやげ店の移転で、この井戸は水族館の専用となり、私が水鳥池の注水用に100m余りの配管を埋設した。しかし水鳥池はアシカプール(海水)に転用になり、この水はザリガニ水槽用に。その後ザリガニだけではもったいないので、雨水タンク(屋上に降った雨を利用するタンク)と併用して、清掃用の中水として利用されている。湧水量はあまり多くないが、屋上の雨水は1日~2日で使い切るけど、この井戸水は大雨のあとなどは、半月以上も利用出来るようである。

  もっと水量があればイロイロと利用価値があるのだが、真夏や冬場には度々水枯れがおこる。


  

223 (再)井戸のお話⑤No.5井戸(アカメ井戸)

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  水族館の真正面の遊歩道前に掘られた井戸で、他の井戸は130cmなのに対して、この井戸だけは80cmの側(枠)を使っている。理由は井戸屋さんが「大きい井戸は疲れるからこれで我慢して」と云ったからである。この場所を選んだのは、水温が安定していることが以前のボーリング調査でわかっていた(105 アカメ井戸)からである。夏は26℃冬場は17℃と、他の井戸より上下2℃ほど変動が少ない。当館の看板でもあるアカメは水温が15℃まで下ると命が危ないので、冬場はボイラーで温める必要があった。しかしこの井戸のおかげで、それが不用になったのである。塩分濃度が、雨の度に薄くなる欠陥があるのだが、アカメは汽水を好むのでピッタリの水であった。しかもその排水は、チタンパイプで亀水槽に取り込んで暖房に使用したり、サンゴ水槽の冷却にも活用されている。現在はこの水を館内冷房に利用出来ないか知恵を絞っているところである。

  イラストのタガヤサンミナシはイモガイの仲間なので、恐ろしい毒矢を持っています。

222 (再)井戸のお話④No.4井戸

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  この井戸は遊歩道から10mほど海側に離れている。新築後5年ほどして、冬場の干潮時の水切れ対策として「もう1本井戸を掘って欲しい」と館長に頼み込んだ。少しでも深い井戸が欲しいのだが砂浜の下の岩盤の位置などわかるはずもない。やはり8mの所で岩盤に突き当ってしまった。館長も井戸屋さんも「ここまでであきらめて」と云う。あきらめきれない私は井戸の底に潜り細い鉄棒で岩盤を探ってみた。不幸なのか幸いなのか井戸側(枠)の端30cmほどが引っかかっているようだった。あと30cm南側を掘っていたらまだ1mほど深く掘れたかも知れないのである。そこでこの井戸の内側に80cmの小さめの井戸側を入れてさらに1m余り掘ってもらうことにした。そのおかげでこの井戸が私を冬場の潮番から解放してくれたのである。

  この井戸もNo.3井戸と同様20㎝ほど砂に埋もれている。そして目印となる歩道から10mほど離れているので見つけにくい。ポンプの故障で入れ替え工事の時、探すのに時間がかかることもある。

  

  

221 (再)井戸のお話③No.3井戸

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   No.1・2番から15mほど離れて、やはり遊歩道沿いにあるのだが、ふだんは10~20cmほど砂に埋もれている。昭和4年頃に掘られたと云ふこの井戸は、本体部分の直径は90cmだが、上部は砂浜の変動(盛り上り)にあわせて何度も修理(かさ上げ)された跡が残っている。桂浜水族館を支え続けてくれたこの井戸も、80年の歳月には勝てず、底部に大きな割れ目が出来てしまった。昨年この部分の修理を試みたがうまくゆかず。すでに引退してしまっている井戸掘り屋さんに相談に行き、やっとなんとか使用可能な状態に戻すことが出来た。しかしもうフルスロットルで吸うことは無理なようである。この先は予備の井戸として、非常時以外は使わないようにして、少しでも寿命を延ばしてやりたいと思っている。

  この井戸は砂に埋もれていて、その存在を知っているのは現在は私だけ。私が急死したらほぼ永遠に、桂浜に埋もれてしまうだろう。


220 (再)井戸のお話②No1・2井戸

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  水族館から100m余りはなれた桂浜の遊歩道ぞいに、2m四方のコンクリートで固められ、円形のフタのついたマンホール様のものが2基、15mほどの間隔で顔を出している。これがNo.1・2の海水井戸である。昭和59年の移転新築時に新しく掘られた。直径1.3m高さ1mの井戸側(枠)を8個つないでいるので、フタまでの深さは8m。底にニギリコブシ大のグリ石を30cmほど敷きつめその上に7.5kwの水中ポンプが座っている。毎分1tほどの海水を汲み揚げるのだが、スイッチを入れると井戸の水位は40cmほど下っで安定する。井戸掘り屋さんの話では「こんなに大量の水の湧く井戸は世界でもここだけかも知れん。この浜の深い所の砂は粗い粒のそろった層になっているのだろう」とのこと。しかし私としてはあと50cm深くまで掘ってほしかった。冬場の大潮の干潮時には井戸は干上がって(53 潮番)しまうのである。

  井戸掘り屋さんは、深さ8mの井戸二本を三人係で一ヶ月余りで掘りあげてくれた。請け値は一本百万円(昭和59年当時)とのことだった。

  

219 (再)井戸のお話①桂浜の命

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  水族館の黎明期には、いずこも開放式(海水を直接引き込む方式)で、お魚を飼育展示していた。この方式では水温のコントロールが出来ないため、お魚を通年飼育することが不可能に近かった。だから今ではほとんどの水族館が濾過循環方式で水温を調節して飼育している。しかし桂浜では今も開放式で大部分の魚を飼育している。それを可能にしているのが当館の海水井戸なのである。桂浜の砂浜に掘られた井戸は地温の影響を受けるため、夏場は低く冬は高目に推移する(23 桂浜水族館の命)。この井戸水のおかげで、土佐湾の魚が通年飼育出来、豊な水量によって水質が保たれる。この井戸水が無ければ、桂浜水族館は80年間も生き残ることは出来なかったと思う。現在5本の井戸から毎分3t余りの海水をくみあげている。それぞれの井戸を順次紹介してみようと思う。

  

218 (再)桂浜百景⑮クロマツ

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  クロマツは海岸の防風林として古くから活用され、風景画などにもよく登場する。桂浜にもたくさん自生(多分)していて、直径50cmから1mちかいものもある。私の知る40年余りの間に台風や松喰い虫のために、ずい分少なくなった。しかし新しく植えられたものも多く、かなり生長してきている。水族館の敷地(高知市からの借地)内にも太い松が10本ほどあり、そのうち1番太い木が桂浜水族館の入口の“門かぶり”になっている。植木が趣味(⑥飼育員の仕事???)だった先々代の館長は、新築当時「この松が枯れたら水族館も終り」と大まじめに話していた。それから27年が過ぎたが、この松は今のところ健在ではある。

  館内の10本ほどのクロマツは、ほぼすべて200年ほど生きて寿命が近づいていると思われる。しかし私の桂浜での半世紀での間に、枯れたのは1本だけである。

  


217 (再)桂浜百景⑭竜宮橋

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 桂浜のシンボル、竜王岬のお宮への登り口に10mほどのコンクリート製の橋がかかっている。平成元年にかけかえられたが、以前の橋には“大正14年”とあったので昭和の時代をそっくり生きぬいてきたことになる。有名な室戸台風(昭和9年)や、昭和45年の10号などの、巨大な台風の大波に耐えてきた。同じ場所に造りなおされた“竜宮橋”であるが、鉄筋コンクリートの本体は大丈夫と思うが、ミカゲ石の欄干はちょっと心配である。これまでのあまり大きくない台風の洗礼で、はやくもグラつきが出ている所がある。大正時代の作品に負けてしまうのは、まちがいなさそうである。

  この記事を書いたのは2011年7月だが、案の定ミカゲ石の欄干はこの12年間に二度ほど台風にやられ、修理が必要になったのである。

216 (再)桂浜百景⑬台風の波見物🄫

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  台風が高知県に近づいてくると、NHKをはじめ各報道機関が桂浜に中継車を出す。この頃になると風や雨も強まってくるので、一般の見物客はほとんどいなくなる。旧館時代は、このころはおおいそがしの時期だった。当時の館長は、昭和45年の10号台風に打ちのめされた経験(209桂浜百景⑨台風の大波)を持っているので台風を怖がり、いつも私の予想を超える対策を求めた。毎回風雨の中でエンジンルームを戸板でかこい、入口ドアを当て木で補強し、土嚢を積み上げたものだった。しかし新館に移ってからは、鉄筋コンクリートなので風も波も心配はなくなった。イルカプールのテントだけはぐったら、あとは荒れ狂う大波を高見の見物である。停電の心配があるので家には帰れないが、大波を堪能しながら台風の通過を待っていればよくなったのである。

  報道機関の中継は現場のなま中継を目的としているので、タイミングよく大波が来ることは少ない。私は長時間ながめているので、誰も見たことのないような素晴らしい大波を堪能しているのである。
プロフィール     ロリコンのおじん

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
桂浜水族館を縁の下から支えて半世紀。

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