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742 母、104歳②食欲

空腹のお母さま
  “人間、食欲がなくなればお終い”などと言われることもあるが、母の食欲はなかなかのものである。ネトレンで三時のおやつを食べてから帰るはずなのに、帰るなり「何ぞ食べさせて」と言う。「もうすぐ晩御飯やから…」と言っても聞かない。歩行器を押して冷蔵庫を開けにゆく。しかし胃にステントが入っている関係で、何でも食べさせるわけにはゆかない。嫁(義姉)は先回りして、少しだけ食べさせられるおやつを用意しておかねばならないのである。
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741 母、104歳①本格介護

長男ご夫婦とお母さま
  昨年秋、胃の幽門部にステントを入れて復活はしたものの、20日間の入院で急速に体力は失われた。パソコン教室には行けなくなり、外出はネトレンだけになった。食事もお粥などの流動食。おしめへのお漏らしも多くなり、風呂へも自力では入れなくなった。長男夫婦の、本格的な介護生活が始まったのである。  

740 母、104歳(序)

まだまだ続くよお母さま
  一年間、見守り介護に通った102歳の頃のことを思えば、会うたびに身体が弱ってゆくのを感じ、胃に巣くう癌のことも考えて104歳(本年6月)はとても無理だろうと思っていた。いつ突然“終わり”を告げられても不思議はない、と思うようになっていたのである。ところが6月の104歳だけでなく、この夏も乗り切った。そこでもうしばらく、私のこのブログのネタとして、母に頑張ってもらうことにしたのである。

739 長寿の母⑳ステント

拡張
  昨年秋、急に起き上がれなくなり、何も食べられなくなってしまった。入院させ内視鏡検査「幽門部に癌が広がり食べ物が通過出来なくなってます。ステントで広げてみましょう」とのこと。もう寝たきりであとは時間の問題、104歳はとても望めないだろうと覚悟していたが、この内視鏡手術で復活。またネトレンへ行けるまでに回復したのである。

738 長寿の母⑲10万円

お母さまバースデー
  昨年5月のこと「コロナとか云う恐ろしい“ビールス”が流行っているそうな。私にも10万円くれるらしいので、それでお誕生会をしよう」と言い出した。6月10日が母の誕生日。緊急事態宣言中で、食堂やレストランが軒並み自粛中。長男がやっと探して手配。その日は荒れ気味の天候のせいもあったが、大きなレストランは我が家の10人余りの一組だけの貸切状態。103歳の母はご満悦だったのである。

737 長寿の母⑱生検

兄弟の悩み
  退院一ヶ月後の通院で「潰瘍の治りが悪いので生検をしてみましょう」と言われた。“これはちょっと危ないかも。来るべきものが来たのかも”と思いながらその半月余後に結果を聞きに行くと「悪性新生物(癌)でした。60歳の人ならすぐにも手術をお勧めしますが…」とのこと。次男は「無理しても手術を」と主張したが、長男と私と四男は「この歳で腹切りなんて…」と反対。母には「薬を飲んどけば良くなるよ」とだけ伝えることにしたのである

736 長寿の母⑰終わりの始まり

貧血のお母さま
  102歳の秋のこと、珍しく元気がなくなり食欲も無いと感じた長男が、病院(お隣)へ連れて行くと、顔なじみの医師は「元気がないですね。でも熱はないし肺の音もきれい、痛い所もない。まあ血液検査の結果を待ちましょう」と一旦家に帰された。まもなく電話で「かなりの貧血です。救急車を呼ぶので即入院を」。入院先での内視鏡検査の結果「大きな胃潰瘍があり、そこからかなり出血しています」とのこと。輸血と投薬とでたちまち元気に。しかしそれは“終わりの始まり”だったのである。

735 長寿の母⑯ネトレン

お母さま施設へ行く
  102歳を目前にした母が足の弱りを訴えたので、かかりつけ医に相談すると、リハビリ運動などをサポートする“ネトレン”という施設を薦められた。介護施設は受けつけなかったがこちらは楽しみに。週3回、迎えの車を待ちかねて玄関へ。100歳超えの人は珍しいので職員も歓迎してくれるし、通所者はみんな自分よりも若く、尊敬のまなざしを感じて嬉しいのだと思うのである。

734 長寿の母⑮100歳の体調

音量と補聴器
  80歳の頃に左股関節を人工関節に。白内障は85歳で手術。悪いところはなく、お隣のかかりつけ医で月に一度定期診察。高血圧の薬だけが処方され、孫より若い医師から「もうすぐ102歳ですね。まだまだ元気ですね」と褒められてニンマリ。しかし聴力は90歳の頃からかなり落ちてきてテレビの音量が大きい。補聴器を薦めたが、以前に誰かに借りて“ピピー”と鳴るハウリングを経験していて「あれはイヤ」と受けつけない。顔を見ながら大き目の声で話せばまだまだ通じる。短期記憶がかなり悪く、昨日のことは覚えていられないようだが、認知機能には問題はなさそうである。

733 長寿の母⑭分担

御兄弟の事情
  実は宮崎の長男はすでに退職。鳴門へ帰って母と同居する予定だったのが、急に「もう一年延長して欲しい」と頼まれて契約してしまった矢先だったのである。名古屋の次男は病弱な娘と二人暮らし、三男の私はまだ仕事を持っている。しかし「一人で平気…」をそのまま受け取ることは出来ず。三人で分担して介護(と言っても見守りだけ)に通うことになった。その時のいきさつが“645~655の母親介護“である。

732 長寿の母⑬一人で平気

拒否のお母さま
  四男の不調でサポート係がいなくなり、困り果てた長男が「介護施設に入って…」と、何件か見学に連れて回った。しかし「あそこは去年慰問(日本舞踊)に行った所。私がおる所ではない」「あんな生ぬるい体操やお遊戯はやっとられん」と、ガンとして受けつけず。そして「一人でも平気」とのたまうのである。

731 長寿の母⑫発覚

床と心臓
  四男からの連絡で長男は宮崎から飛行機で、私も仕事を休み駆け付けたが、母は入院先で高熱にもかかわらず元気で喋っていた。インフルエンザだろうという事で、4日間の入院で無事退院。ところがそんな時サポーターの四男の不調が発覚。心臓病で入院することになってしまったのである。

730 長寿の母⑪緊急入院

お母さまトラブル
  事件が起きたのは101歳の四月のこと。サポート係の四男が太極拳グループへ母を送り、スーパーへ回って頼まれていた買い物をしている時に「お母さんが倒れた」との電話が入ったのである。彼がかかりつけの病院へ連れて行くと、医師は「高熱だけど意識がしっかりしているの大丈夫。でも歳が歳だから…」と、救急車を手配して、緊急入院となったのである。

729 長寿の母⑩敬老の日

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  2017年の敬老の日。県知事から100歳のお祝いが届くとのことだったが、待ち受けていた長男夫婦が急用でちょっと出かけたスキに県の職員が来宅。母が出ると「高谷シゲ子さんはご在宅でしょうか、直接お目にかかりたいのですが」と。その職員には100歳の婆さんが、玄関まで歩いて出迎えることは、想定外だったようなのである。

728 長寿の母⑨日課

お母さまの週間
  90歳を過ぎた頃の母の日課である。さすがに旅行に出るのはためらわれたようだが、毎週月曜日には昔から続けている日本舞踊。先生を含む数人が自宅で稽古。水曜日はパソコン教室。金曜日は太極拳。それ以外の日は図書館で借りてきた本の読書。義姉の話によると、図書館に連れて行った時「この書架の本を全部読むまでは死ねん」と言ったとか。

727 長寿の母⑧新居

お母さまの新築
  生家は明治の初め頃に古材を使って建てたとのことで、母が嫁いだ頃にはもうすでになり古びていた。屋根の葺き替えは何度かやったがそろそろ限界。いずれ鳴門に帰る予定の長男が新築することになったのが2011年。四男が建設会社に勤めていたので請負うことに。93歳から新居での一人暮らしが始まった。“歳をとって住居が変わるとボケる”などの話も聞いていたが母には関係なかったようである。

726 長寿の母⑦痴漢

狙われたお母さま
  一人暮らしなので母は体調管理に気を配っていたようである。毎朝の一万歩ウオーキングを欠かさず続けていたが、薄暗い早朝に事件が!。なんと83歳のおばばが痴漢に襲われたのである。「突然抱きつかれてズボンの中に手を入れてきたので、大声を出したら逃げていった」とのこと。赤いパーカーで背筋がピンと伸びた、しっかりした歩きだったので若く見えたのだと思う。

725 長寿の母⑥カメラ

夜景と霧
  母は友人も多く、80代で身体もよく動いていた頃は、誘われて旅行に行くことも多かった。その頃はカメラが趣味で、当時普及していた“バカチョンカメラ”でいっぱい写し嬉しがっていた。旅行以外では夜景や霧の中の写真がお気に入りで、四つ切りに伸ばして部屋に飾り、友人などにも贈っていたようである。

724 長寿の母⑤押しつけ

本州九州の御兄弟
  長女が市内に居てくれれば、一人暮らしも安心していられると思っていたのにあてが外れてしまった。次男は名古屋に、三男(私)は高知に根付いてしまっているが、宮崎県の長男はいずれ鳴門市に帰るつもり。しかしそれは退職後のことなので、まだ30年ほど先のこと。本人は70歳目前だが一人暮らしに問題はなかった。市内にいる四男の嫁とは相性があまり良くなかったが、非常時には頼むと、彼にサポート係を押しつけたのである。

724 長寿の母④長女の急死

長女2
  20年ほど前のことだが優雅な一人暮らしの母に聞いてみたことがあった。「出来の悪い私たちに苦労させられたと思うけど、一番苦しい思いをしたのは?…」。母は即座に「それは節ちゃん(長女)よ。父ちゃんが死んだ時よりも何倍も…」と涙ぐんだ。長女は36歳で幼い男女を残して急死(劇症肝炎)したのである。その時点ですでに20年ちかく過ぎていた。母に責任があるわけではないのに、心に刺さった大きな杭は、そのまま残っていたのである。
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