490 エコおやじ救急車⑧悪寒

サラサハタ
  早朝「点滴の交換です」と看護師が作業をして帰ったすぐ後、突然身体全体に不快感が現れた。『???』この感覚は何だろうと思ううちに、全身がブルブル震え出した。『これはインフルエンザの時の発熱の始まりの“悪寒”のようだ』と感じると同時にナースコール!。呼吸も困難になり、ゼーゼーハーハーが病室に響いた。看護師が酸素ホースを鼻に入れてくれて、電気毛布をかけて身体を押さえてくれたようだった。多分30分ぐらいで落ち着いたと思うが、体温は39.8度とのことで解熱剤を飲まされた。これはどうやら『敗血症』の始まりだったようである。もしあの時無理やり家に帰っていたら、間違いなくまたピーポーのお世話になるところだったのである。   つづく
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489 エコおやじ救急車⑦悪あがき

タチウオ
  ER担当の医師は「この大きな『石』が尿道をふさいで炎症を起こし、発熱と痛みの原因になっています。腎臓の炎症は細菌が血管に入りやすいので、敗血症に注意しなければなりません。抗生剤の点滴を始めましょう。薬が合えばすぐに熱も下がり痛みも消えるはずです。『石』については明日泌尿器科の先生に聞いてください」とのことで病室へ。しかしその時点で座薬が効いたのか、痛みもなく熱も下がっている感じだったので、女房に「明日外来で診察してもらうので、今夜は帰して下さいと言ってこい」と言うと「もう手続きを済ませた。悪あがきを言わずにさっさと寝ろ」と言い残して帰ってしまった。私は「枕が変わっても眠れないのに、病院のベットなんかで眠れるわけがない。家で眠ったほうが早く治るはずだ…」などとブツブツ言いながら眠れぬ夜を過ごした。そして朝5時を迎えるのである。   つづく

488 エコおやじ救急車⑥緊急入院

アカマツカサ
  ピーポーで10分余り、大森病院のERに到着。「とにかく痛い!何とかして」と固く目を閉じ、ベットや枕をかきむしっていると、看護師が「痛み止を入れます」と座薬を押し込んでくれた。すると5分いや3分もしないうちに『ストン』と痛みが消えたのである。これは座薬の効果とは違うと感じながらも、とにかくもう痛くないので「痛みも消えたし、熱もあまりないみたいなので帰りたい」と言うと「救急車で来たからには、そんなに簡単に帰れないですよ。これから少なくとも採血・採尿とCTの検査はしなければ」と怒られた。血液や尿の結果が出る前にERの医師が「CTに大きな『石』が写っています。これが悪さをしているようなので、緊急入院ですね」と付き添ってきた女房が手続きに呼ばれたのである。  つづく

487 エコおやじ救急車⑤ピーポー

 イシガキフグ
 鈍痛は、それまでは急にレベルが上がり『ストン』と消えていたが、今回は30分以上過ぎても3~4のレベルが続く。女房には病院行きをすすめられたが「今日は日曜日だし、どうせまた『ストン』と消えるだろうから、病院は明日にする」とベットに潜り込む。しかしレベルは少しずつ上がり、19時前には6~7まで、もうすぐ8ぐらいまで上がったら『ストン』だろうと思って我慢していたが8~9に至っても『ストン』は訪れず、私はもがき苦しみ始めた。その状態が30分以上続いたのを見かねた女房が、ついに119番。ピーポーが聞こえても歩くことも出来ず、玄関まで這い出すのが精一杯。救急隊員が持ち込んだシートにくるまれ、階段を降ろされた。それはちょうど我々が、アカメなどの大型魚を運ぶのと同じスタイルだった。それにしても痛い!レベルは9~10。助けてー。   つづく

486 エコおやじ救急車④楽観

キハッソク
  「明日は日曜日だけど開いてる病院を探して行ってみる」と宣言してからそのまま少し眠ると、22時頃多量の発汗があり熱は37.5度まで下がっていた。鈍痛も消えていて、もしかしたら『石』は自然に流れ出たのかも、と期待して眠った。2日の朝、目覚めると熱も違和感もなく、これは病院ではなく出勤だろう。その日は特別な団体の予約が入っていて、私が切符売り場にいなかったら、手が足りなくて困るのは間違いないことがわかっていた。そして前日と違い“完治”を思わせるような体調で仕事を終えた。「やはり『石』は自然流出したとしか思えない」とニンマリしながら帰宅したのだが、夕食を前にまた違和感に続いて鈍痛が始まったのである。   つづく

485 エコおやじ救急車③出勤

マンジュウイシモチ
  10月1日の朝はレベル2~3の鈍痛に起こされたが、7時には『ストン』と消えた。食欲はなかったがリンゴ少しと牛乳を流し込んで出勤することにした。本来ならこの時点で病院へ行くべきだったのだが、土・日のシフトは私が抜けるとかなり困るので、少しくらいは無理をしなければ、と思ったのが今回の騒動を引き起こしたと言えるかもしれないのである。昼までは下腹部の違和感だけだったが、お昼にアンパンをかじったてから急に寒気が出始めた。かなりの発熱を感じながら、不快感と鈍痛(レベル3~4)に耐えて入場券の販売を続けた。帰宅後熱を計ると39.5度。これはしんどかったはずだと納得。当然食欲もなく、リンゴを半分ほどかじってベットへ潜り込んだのであった。   つづく

484 エコおやじ救急車②鈍痛

サギフエ
  朝食を食べているうちに違和感は消えた。金曜日の私の定時の仕事であるメインプールの清掃も、トドのナデシコにじゃれつかれ、右腕を噛まれるトラブルはあったが、無事にすませた。ところが家に帰ると同時に違和感が現れ、それが不快感に変わり、鈍い痛みに進行していったのである。急に食欲がなくなり、大好きなはずのアジの刺身も半分以上残した。女房に「これはちょっとおかしいぞ」と言うと「痛みのレベルは?」と聞くので「10段階で1~2」と答えると「フフン」と鼻で笑われた。しかしその後痛みが進行し、20時頃には4~5のレベルに。そして突然あたたたたこれは8~9だぞ!。と思ったとたんに『ストン』と消えてしまった。そのまま少し眠ったが、気づくと鈍痛がありゆっくり進行、30分程でレベル8~9に、吐き気も感じたが、やはり『ストン』と突然解消。痛む場所から考えて、これは“尿管結石”に違いないと考えたのであった。   つづく

483 エコおやじ救急車①違和感

サザナミヤッコ
  9月29日のこと。本来なら休日の予定だったが、室戸から「いいのが入ったから早く来い」との連絡があり、水槽トラックで走った。30㎝余りの立派なサザナミヤッコとイサギやカンパチの幼魚を貰って帰ったのだが、トラックを降りた時、右下腹部に違和感があることに気づいた。これが今回の騒動の出発点だったのである。違和感は痛みなどの前ぶれ可能性も考えたが、今回のはトラックに揺すられたせいで、疲れただけと楽観視していた。しかし翌朝になってもまだ続いていたので女房に「違和感が消えない」と言うと、どんな感じ?と聞くので「盲腸の裏側がコソバイ感じ」と表現したら無視された。  つづく

482 エコおやじ救急車(序)

タテジマキンチャクダイ2
  今回は今月二日の夜、発熱と激痛により、救急車のお世話になった時のお話しです。以前の“エコおやじ切腹?(464~473)”のお話しは、本当の病気とは言えないものでしたが、今回生まれて初めて“急病人”の状態を経験しました。“病気とは縁のない男”を自慢していましたが、70歳に到達した今、私の身体もかなり傷んできていることを実感せずにはいられません。それはともかく10年続けてきたこのブログの、ネタ切れに悩まされている私ですので、今回の緊急入院も、私の“履歴書”として報告させて頂きます。救急車入院・退院・再救急車・再入院とドタバタの十月でした。おかげで10週分ぐらいのネタになりそうですのでお付き合い下さい。  

481 葬送記⑦まさこ

マンボウ2
  私は30年余りの間に、224頭のマンボウを室戸から運び飼育してきた(現在は中断中)。大部分は数日から一ヶ月余りの短い命。20~30Kgが普通だったので、死体はほとんどが埋葬だった。しかし818日間(桂浜水族館での最長記録)飼育したマンボウは、丁寧に水葬してやった。60Kg以上に成長していたが室戸まで運び、大敷網漁の船に乗せてもらって太平洋に帰してやった。そして私を飼育員としての自信を持たせてくれたまんぼうの“まさこ”は、特別な葬儀を行った。桂浜に来て間もなくの頃、当時の寿一館長(266恩人①寿一館長)から「大切に育ててきたペットが死亡した時の最上の弔いは、その身体の一部でいいから食べてやって、自分の血や肉にしてやることではあるまいか」と聞かされていたことを思い出し、解剖のあと先生(278恩人⑬山口先生)や学生達と一口づつ(エコおやじの履歴書⑲腸閉塞の写真)食べてやることにしたのであった。

480 葬送記⑥タケル

タケル
  当館で子作りに励んできたカリフォルニアアシカのタケルが死んだのは、1990年5月23日のこと。死亡時でも200Kg余りの巨体の処理は、やはりケンゾウさんの船での水葬だった。ところが半月後の6月10日、私がいつものように入場券売り場から太平洋をボンヤリながめていて、奇妙なものが流れて来るのに気づいた。双眼鏡でのぞくと、ヒレをパタパタさせながら浮かんで流れて来るのは、どう見てもあのタケルだった。10Kmほどの沖合から桂浜を目指して帰って来たのである。30年以上暮らしていた桂浜に帰って来たタケルを再び沖へはこぶのは忍びなくて、手漕ぎのボートで西海岸へ運び、お花畑の下に埋葬しなおしてやったのであった。

479 葬送記⑤モモ子

モモイロペリカン2
  桂浜の西海岸に野路菊が咲きそろい、その下側にツワブキの群落がある崖が続く所がある。昭和40年頃、桂浜からその西海岸へ回り込むコンクリート製の遊歩道が整備されていた。しかし昭和45年の10号台風(339桂浜への道⑪台風10号)で完全に破壊されてしまい、その後お花畑は忘れ去られてしまっている。私はそのお花畑の下の砂浜をこっそり墓地にしているのである。そこには主にフライングゲージで飼育していた水鳥達やペンギンなどが埋葬されている。長年私と共に働いたモモイロペリカンもここに眠っている。ツワブキの咲きそろう初冬にはここに来て、嫌われ続けたモモ子(156失恋⑤モモ子)のことを思い出すのである。

478 葬送記④アンコウ

アンコウ2
  1m余り30㎏ほどのアンコウが入館したことがあった。飼育の難しい魚で、思惑どうり一週間ほどの命だった。大きいので死体の処理に困り、埋葬することにした。苦労して桂浜の西海岸まで運び、砂浜を深く掘って埋葬した。ところが運悪く、数日後に嵐が通過して浜の砂が大きく移動し、死体が少しだけ掘り出された状態になっていたようである。普段は滅多に人が行かない所なのに、たまたま通りかかった観光客が、アンコウの内蔵を人間の死体の一部と思って警察に通報。消防も駆けつけて大騒ぎになってしまったこともあったのである。

477 葬送記③シノノメサカタザメ

シノノメサカタザメ2
  シノノメサカタザメは滅多に入館しないレア物である。私の桂浜での45年間で、3尾しか扱っていない。しかも餌付いたのは20kgほどの小型の一尾のみで、それも暖房設備のなかった旧桂浜水族館では冬越しは出来なかった。大型の2尾はいずれも一か月前後の命だったが、水葬用の船が用意出来ず小型の手漕ぎボートで桂浜沖200mほどのシモリ磯(干潮になっても、水面に顔を出さない磯)の大きな割れ目まで運んだ。もう1尾の時はボートもなくて、発砲スチロールを浮きにしてコンクリートブロックをぶらさげ、50kg余りの魚体を押して泳いで運んだ。「もう一度お前の仲間を飼育してみたいから、よろしく頼むよ」と念じながら一時間以上かかって、シモリ磯まで泳いでいったことを記憶している。

476 葬送記②アカウミガメ

アカウミガメ2
  当館のメインプールにいるアカウミガメ・アオウミガメは、餌やりが人気の看板スターである。小型で入館したものは、病気やいじめで死ぬものもあるが、大型のものは滅多に死なない。しかし死亡すると100Kg近い巨体は処理に困る。大抵の場合は水葬(と言えば聞こえはいいが、現実は海洋投棄)である。前出の館長の子分のケンゾウさんの船で桂浜沖10Kmほどの太平洋へ、コンクリートのブロックを結んで沈める。しかしケンゾウさんが引退してからは、埋葬してツワブキの花を添えることが多くなっている。

475 葬送記①太郎

太郎(バンドウイルカ)
  パンドウイルカの太郎が死亡した時、館長に死体の処理を相談すると「ケンゾウに頼め」とのこと。“ケンゾウ”さんは館長の一の子分を自認する地元の漁師。軽トラックに積み込んで漁港まで運び、自分の船に乗せて沖合へ。出港前に館長婦人が「これに包んでやって」と水族館の旗を手渡してくれた。40分ほど走って桂浜沖10Kmほどの太平洋に水葬。一緒に飛び込んで薄緑色の水族館旗に包まれた死体が、弧を描いて沈んでいくのを水中メガネ越に見送っていると、なんだか変な気分になりかけた。その時目の前に竹竿が飛び込んできた。泳ぎには自信をがあり、溺れることなど夢にも思わなかった私だが、少しおかしくなっていたようだった。「お前、引きずり込まれてたみたいだったぞ」とケンゾウさん。竹竿のタイミングがもう少し遅かったら、私は太郎に引っぱられて、太平洋に沈んでいってしまったかもしれなかったのであった。

474 葬送記(序)

ツワブキ
  水族館は生き物を扱う施設なので、避けて通れないのが死別である。動物園と違って、魚類は寿命も短いし、大量死などもあって、いちいち死魚に気を回してはいられないが、大型の魚などで特別な思い入れがあったり、イルカやアシカなどの哺乳類との死別は、それなのり葬儀が必要になってくる。現在ではゴンドウクジラやイルカなどは、死亡原因調べの解剖の後、切断して焼却しなければならず、葬儀としてはごく一部の肉片などを埋め、ツワブキなど、そのあたりの草花を添えるのみだが、20年以上前は、水葬や埋葬が主だった。今回はそんな思い入れの残る、動物やお魚の“葬送”について思い返してみたい。

473 エコおやじ切腹?⑩切腹???

ハナガサクラゲ
  家に帰ってシャワーを浴び、牛乳200ccを一気に飲んで、夕方7時には自分のベッドへ。二晩、ほとんど眠れてなかったせいもあって、朝7時過ぎまで夢も見ずにぐっすり眠った。しかしさすがに、ダメージの回復は12時間では無理だったようで、その日は食欲も出ずバナナや小夏(土佐特産の夏みかん)・菓子パンを少しずつ食べて、一日じゅうベッドでゴロゴロの休養日だった。ところがここで鬼の女房が登場する。夕方になって「出かけるのでアッシーを…」と言う。女房は、私が死に神に手招きされて苦悩していたことなど想像もできなかったようである。「俺は切腹してやっと退院したばかりの病人だぞ」と言うと「腹の皮をチョビッと切っただけ、盲腸よりも軽い手術でしょう。私は卓司(長男)の時20cm以上切って取り出してもらってるの。10cmも切ってないのに切腹なんて偉そうな…」。なるほど腹膜も切ってないので“切腹”とは言えないかも、と納得して3キロ余りの送り迎えを。しかしそのおかげで、この分なら明日は出勤して定時のプール洗いも出来そうだ、との感覚をつかめたのであった。     終わり

472 エコおやじ切腹?⑨退院

ミズクラゲ
  朝8時頃、先生の巡回があり「回復が遅れているようなので、もう一泊して様子を見ましょうか」と言いつつ「この痛み止めの麻酔が効きすぎたのかも知れないね」と背中に入れたチューブを抜きながら「でも今回は痛みが少なかったでしょう…」。私はすでに歩ける見通しが立っていたので「もう大丈夫ですので予定どうり帰りたい」と。しかし「まあ夕方までは…」ということになった。背中のチューブを抜いたらすぐ左足の痛覚が戻り、右足も急速に回復した。10時には導尿パイプを外してもらい、1時には自力で歩いてトイレに。便器に座り込み、導尿パイプを抜いた名残の焼け付くような排尿痛に耐えながら、今回の手術のアクシデントを振り返り、無事終わった実感に浸った。夕方、待ちかねた先生からの退院許可が下り、大急ぎで女房に迎えの電話を入れたのであった。    つづく

471 エコおやじ切腹?⑧死に神

タコクラゲ
  そんな私の頭のへ、こっそりと死に神が忍び込んできた。私はこれまでの人生にほぼ満足している。この先の人生に楽しみがあるとしたら、可愛い女の子の孫を抱っこナメナメ(315鳥カゴより⑭ロリロリウオッチ)したいだけなのだが、頼みの息子達には結婚の気配も見えない。もし車椅子生活になってしまったりしたら、もう生きていたくない。女房に邪魔者扱いされながらの生活は、私には耐えられない。ここは8階だから窓から飛び降りれば済むことだ。片足は動くので窓は越せる。窓が開くことは昨夜風を入れて確認している(後でわかったのだが、8階なので安全のために10cmほどしか開かない)。夜明けまでに回復の気配がなければ決行するつもりで、簡単な遺書も書いた。死に神との対話は2時間余り続いたが、ふと気づくと右足の指が3本動いた。午前3時過ぎには足首に力が入るようになってきた。これなら松葉杖で歩けるかもしれない。4時には右足の外側に感覚が現れた。その頃には死に神は黙って姿を消した。7時になると膝まで動かせるようになってきたのである。    つづく
プロフィール

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