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274 (再)恩人⑧轟丸

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  室戸岬の東側に三津と云ふ小さな漁港がある。轟丸はこの地区の沖に設置された大敷網漁の船である。私の水族館人生は、この轟丸なしには考えられない。昭和48年10月に、この漁港に大敷網で獲れたバンドウイルカが住みついた(⑭イルカ入館)。それが縁で以来38年間、魚類の採集基地としてここに通い続けている。先長(船長)のH中さん・副先長のタカノリさん・クボさん・オノさん、組合長のK田さん。それから漁協のK下さん・M沢さん・アキラさん。その他、大勢のみなさんが私を“イオオイ(166大敷網漁②イオオイ)”と呼んでかわいがってくれた。その恩人の方々もすでに引退。現在では私が三津大敷の最古参になってしまっている。船方がすっかり若い世代に代替わりしてしまった轟丸に、今も私は通い続け、お世話になり続け(254大敷網漁⑨バンドウ)ているのである。

  昨年10月でちょうど50年。木造からFRP船に変わった“轟丸”に半世紀を過ぎた今も乗り続けている。
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273 (再)恩人⑦昌(さかん)館長

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  この人は寿一館長の弟で、昭和59年の桂浜水族館の新築をきっかけに寿一さんから館長を引き継いだ。それまではプラスチック工芸の会社を経営し、アクリル製の水槽を作ってレストランなどに納めたりもしていた。だから設置の際には、海水や魚を入れる手伝いをさせられていた関係で、人物はよく知っていた。非常に慎重な人で、物事の決定に時間がかかった。他に選択の余地など全くないような事でも、2時間・3時間と繰返して考える。この人と話しをしているとイライラするばかり(45館長代理)だった。そのために衝突することも多く、ストレスがたまった記憶がある。しかしその昌館長が引退してから、私はこの人の影響を大きく受けていることに気付かされた。「もうちょっと考えてから事をおこせ」「あとひと押ししたら、いいアイディアが生まれるかも…」と30年ほど前に、この人から聞かされた言葉をそっくりそのまま若い“O”に話している自分がここにいるのである。

  新築工事はこの人と私で進めたが工程の遅れを気にする業者から「高谷さん何とかしてよ…」と泣きつかれた(47新築工事⑥内緒でGO)ことも度々あった。   

272 (再)恩人⑥サミーデビスジュニヤ

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  植木や盆栽が趣味の寿一館長は、庭木作りが得意なサミー・デビスジュニアそっくり(日焼けした顔に、ギョロ目)のお百姓さんと組んで、近場の山などからヤマモモやアオキ(クロガネモチ)の木を掘り出しては、自分の畑に移植していた。私は度々その手伝いをさせられた(⑥飼育員の仕事)のである。その関係でこの人からチェーンブロックを使っての、大きな庭石の移動などを含め、植木屋さんのノウハウを学んだ。中でも印象に残っているのが、山道のブランコ通過である。細い山道が数日前の雨に流されて50cmほどエグられていた。あきらめて引き返すのかと思ったら、ロープを持ち出し斜面上の太い木の枝に結び、トラックの片側に結びつけた。なんとブランコの要領で片輪を宙に浮かせて通りぬけてしまったのである。感心している私に「高谷君、道具さえあれば不可能はないよ。頭とウデはこんな時に使うんだ」と聞かされたように記憶している。

  この人の助手で、半世紀前に山から掘り出したヤマモモやクロマツは、今も水族館で葉を茂らせている。

  

271 (再)恩人⑤浪やん

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  浪やんは寿一館長の一の子分を自認していた。水族館のすぐ近くに住んでいて、水道関係の仕事をしていたので、ポンプや水廻りに精通した人だった。旧水族館時代のポンプ類は、すべてこの人がボランティアでめんどうを見ていた。私はこの人に付いて、配管や接続を含めてポンプについての知識を学んだ。カップリングのスリ合わせやグランドパッキンの押し込みなど、理論は十分理解したつもりだが、技術的なことについては私のいいかげんな性格もあって、まだまだこの人のレベルにとどかない。それともう1つ、この人からは道具や機械を修理しながら大切に使う、もったいない(⑧もったいないの原点)の心を教え込まれたと思っている。

  朝出勤すると機械室でカンカン音がする。見ると「夜中に館長に呼ばれた…」と浪やんがポンプを組み立ていたこともあった。

270 (再)恩人④松ちゃん

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   旧水族館時代の一番大きな機械は、15KWの圧縮ポンプの付いたアイスキャンデー製造機だった。昭和30年頃に、中古のアンモニアガス式冷凍機を入れたとのことだった。他にダツトサンのエンジンを使った非常用ポンプと50KWの非常用発電機があった。松ちゃんは、この3つの機械と電気の係だった。発電機はガバナ(回転数調整機)の調整を教わった。ダツトサンのエンジンは、私が夜番をしていて焼け着かせてしまったのを分解修理してもらった。アイスの機械は「アンモニアガスは扱いが微妙だから」と私にはさわらせてくれなかったが電気配線については、この人からたくさんのことを学ぶことが出来たのである。

  旧館時代の電気配線は裸電線を使っている所もあり、今では絶対に有り得ないような、危険な所もあった。

269 (再)恩人③スエやん

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  大工のスエやん(③師匠の教え)は寿一館長のおさななじみで、旧水族館の補修の一切をまかされていた人である。私は入社初日(②初日)に、この人に弟子入りさせられた。この人と共にオンボロ水族館の屋根に上り、40年余りの潮風に痛めつけられた、トタン板や外観を修理した。コンクリート水槽の、ガラスの張り替えを手伝ったこともある。館長の性格を知りぬいていたスエやんは「館長がイロイロうるさい注文をつけてきたら、その場はハイハイと聞いておけ。あとで自分の思ったとおりの細工をしておけばいい」と云ふようなウラ技も教えてくれた。ノコギリやカンナがけの技術については、私の性格もあって上達しなかったが、いろんな場面での“大工さん的”な考え方や発想は、かなり勉強させてもらったと思っている。

  私はスエやんの最後の弟子。彼が引退する時、使い込んだノミやカンナ引き取らせてもらった。

268 (再)恩人②冴子夫人

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  私が入社するまで寿一館長の冴子夫人は、魚類の説明板を担当していた。やさしいタッチの水彩画(ちぃさな浜辺の水族館のなんちゃって課長30~37・174~181)で、簡単な解説がついていた。入社して間もなく「これからは説明板をまかせます。もっと学術的なことも入れて作って下さい」と云われた。私は絵心が全くないのでこれには困った。イラストが得意な後輩のM(なんちゃって課長)が入社するまでに2・3枚だけ作った覚えがある。その後夫人は私をおかかえ運転手にして、自分の趣味の“能”に没頭していた。若くして亡くなったが私を可愛がってくれて、イヤがる館長を説得して私の仲人を引き受けてくれたのである。

  寿一館長はプリンスグロリアに乗っていたが、冴子夫人は私を運転手に、ボロボロの軽トラックでお出かけしていた。

267 (再)恩人①寿一館長

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  「浦戸大橋の開通に合わせて水族館を新築するので、是非とも来て欲しい」との寿一館長の言葉(① 面接)につられて入社したが、新築までは13年も待たされた。しかし今思えば、その13年間が私を育ててくれたようである。館長は自分の趣味(と云うより道楽)の植木(⑥ 飼育員の仕事)や庭石の移動を手伝わせ、築40年を過ぎたボロボロの本館を修理させ、電気・ポンプの修理も指示した。私はお魚の飼育はそっちのけで、このような雑用をこなし続けたのである。何度も辞めようと思ったが、そんな私を見越して「スマンがもうちょっと頑張ってくれ。新築したら雑用はなくなるから」と新築の遅れを申し訳なさそうに云ふ寿一館長を信頼して、ついてきたおかげで現在があると思えるようになってきている。

  当初は寿一館長に召し使いのように扱われて非常に不満だったが、時間と共に性格もわかり、この人に育てられたと思うようになってきたのである。  

266 (再)恩人(序)

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  ネタ切れで「もうこのブログは終了にしたい」と云う私をイラスト係が「まだまだダメです」と、許してくれない。しかたなく無理やり絞り出したのが、今回の“恩人シリーズ”である。桂浜に来て40年余り。思い返せば数多くの人々から学びながら、支えられながらの“水族館人生”だった。このページの最初の頃に登場した人々を含め、その恩人達の一部を紹介してみたい。かなり失礼な表現があるかも知れないが、すべては遠い昔(30年以上前)のお話である。御本人(御遺族を含め)の目に止ることはあるまいと思って好き勝手に書く予定だが、もしもの時は「ごめんなさい」。

  登場する15人(一組は除く)のうち、生存を確認出来ているのは4人だけである。

265 (再)大敷網漁の魚達⑲インバ

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  カスザメは時たまにしか入網しないが、その名のとうりカス扱いである。しかしカスとして捨てられる魚が水族館の狙い目なのである。丈夫でおとなしいので扱いやすく、水槽に入れなくても、海水をかけてやるだけでかなりの時間の輸送に耐えられる。インバと云ふ名は、昔土佐で“インバ”と呼ばれていた外套に似ていることから名付けられたらしい。なかなか餌付かないが、小魚を釣糸に結んで根気よく頭の上あたりを引き回していると、突然バコッと食いついてくるようになる。砂に潜ってほとんど動かないので、存在に気付かずに見過ごされてしまうことの多い魚でもある。

  私は食べたことはないが、実はこの魚は非常に美味しいらしい。

264 (再)大敷網漁の魚達⑱クロエイ

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  夏場に獲れるカラスエイは私のお気に入りの魚である。アカエイに似ているが、まっ黒なので大敷ではクロエイと呼ばれている。底に沈んであまり動かないアカエイとちがって、外洋を遊泳するタイプのエイなので、水槽内を泳ぎ回ってくれて見ばえがする。しかし何よりも、この魚のエサの食べ方が面白い。泳ぎながら食べるので、逃がさないようにヒレを丸めて包みこむようにして食べる。好物のイカを吻のあたりに近づけるとクルッと反転して腹を上に向け、左右のヒレを寄せて包み込むように口に運ぶしぐさは、可愛くて心がなごむ。毒棘にさえ注意していれば、丈夫で飼いやすい魚である。

  普通エイの仲間は腹側は白いのだが、このエイは遊泳性のためか腹も黒い。

263 (再)大敷網漁の魚達⑰アオタ 

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  アオタと呼ばれるヨシキリザメは室戸の大敷には常連である。大きいのは2m近い(118危険生物⑥サメ)のを見ることもあるが、私には手が出せない。50~60cmの小型がねらい目で、なんとか飼育出来ないかと連れて帰った。しかし酸欠に弱く、多くは水槽トラックでの2時間に耐えられず、桂浜に着いた頃には死後硬直になっていることも多かった。サメ類は飼育がむずかしいと聞いていたのを実感させられたものである。しかしある時、大型のメスが市場へ陸揚される途中でバラバラと胎児を産み落す場面に出合ったことがあった。その仔を13尾つれ帰ってみたら、予備水槽で15日間頑張ったことがあった。餌に付くまでには至らなかったが、このあたりにサメ類輸送・飼育のヒントがあるかもしれないと、次のチャンスを待ち続け、もう10年以上が過ぎてしまった。

  六月に出産直前のヨシキリザメを狙って集中して大敷網に通ったこともあったが、出会うことはなかった。

262 (再)大敷網漁の魚達⑯ゼンゴ

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  アジの幼魚はゼンゴと呼ばれている。多分、尾部にあるゼニウロコから付いた名前と思う。アジは室戸の大敷に大量入網することのある大敷漁の狙い目の魚である。網がせばまってきた時、底のほうから泡が上ってきたらアジの大漁を示しているので、網を引く手に力が入る。特に春先に大粒の泡が出ると、シラバと呼ばれる大型(25~30cm)の大漁(168 大敷網漁③ヤレコイ・エイヤ)である。しかしこれは高値で手が出せない。秋口に小さな泡が出たら、ゼンゴ(ごくまれにイサギのこともある)の大漁!。玉網で自分の水槽へ200~400尾を取り込む。40tの展示水槽に、2000尾以上のキラキラ光るゼンゴを群泳させたこともあった。

 女房はアジの小アジのから揚げが好きで「おかずにもらって来て」とたのまれることも多かった。

261 (再)大敷網漁の魚達⑮マイラ

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  アオザメがなぜマイラと呼ばれているかはわからないが、精桿な顔立ちがいかにもサメらしい。サメを悪者と見る人も多いようだが、アオザメの歯や目つきは、いかにも悪者顔であると私は思う。だからこそ、なんとしても飼育展示してみたいと考えた。しかし大敷に入るアオザメは小さいものでも80cmはあり、私の水槽には入らない。船のカンコ(船内イケス)を借りても、その中で大暴れで傷だらけになり、トラック水槽では酸欠になってしまう。しかし何よりこのサメは値段が高い!普通サメ類は干物にするぐらいでほとんど値がつかないが、マイラは“サシミで食べる”とのことでkg当り1000円は下らない。だから最低でも1尾5000円以上になる。私にはすべての面で手が出せない魚なのである。

  一度だけ食べさせてもらったことがあるが、サメ臭は全くなくて美味しかった。

260 (再)大敷網漁の魚達⑭メイタ

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  多くの地方でメイタと呼ばれているメダカガレイは、室戸の大敷では四季を問わずボツボツ入網する。東シナ海の底曳網ではおなじみの高級魚(私は40年ほど前に、1年余り大阪の中央卸売市場で以西底曳の魚類を扱った経験がある)なのだが、室戸では漁獲量が少ないせいなのか、あまりいい値はつかない。目玉がとび出した、愛嬌のある顔立ちのカレイなので水族館向き。砂にもぐって目玉だけを出してキョロキョロ動かせる姿がおもしろい。餌には付きやすいが、あまり長生きしてくれないのが難点である。

  大阪にいた時、療の食事にはメイタのから揚げがよく出た。私は偏食がはげしいのだが、魚市場の寮なので魚がイロイロと出て美味しく過ごすことが出来た。

259 (再)大敷網漁の魚達⑬マト

マトウダイ
  正式にはマトウダイ。側面に弓道の“的”そっくりの大きな紋がある。大敷漁のマトウダイは浮袋をパンパンにふくらませて、浮きあがってくる。ウロコらしいものがなく、皮膚が弱いので、注射針でのエア抜きがうまくいっても、スレ傷がかなりひどく現れ、餌に付く前に死んでしまう。おいしい魚なのだが、私が大敷に通い始めた頃(昭和49年)は仲買いが見向きもせず、捨てられていた。見栄えのいい魚なので、私としては遠慮なく貰って帰って飼育を試みた。しかし残念ながら餌付けに成功した経験は無い。最近では市場で買い手がつくようになったこともあり、飼育の見通しも立たないので、全く手を出さなくなってしまっている。

  水族館向きの魚なので、見つけるたびに連れてかえったが飼育に成功したことはなかった。


258 (再)大敷網漁の魚達⑫クマビキ

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  シイラはネコマタ(ネコがまたいで行く魚)と呼ぶ地方が多いが、土佐ではクマビキ又はトウヤクと呼ばれている。おいしい魚なのだが、足が早い(鮮度落ちが早い)ために、下級魚に扱われている。大敷には夏場を中心に大量入網することがある。何度か採集を試みたが、小型の当才魚でも45cmほどはあるし、大暴れする魚なので、私の狭い水槽では無理とあきらめていた。しかし初夏に大敷に入る流れ藻の間に、3~5cmの稚魚が潜んでいることがあることに気付いた。この稚魚はモリモリ餌を食べ、ドンドン太る。1~2ヶ月で20cmほどに成長するが、そのころになると飛びはねるようになり、水槽上部に激突したり、時には飛び出してしまったり!。当館の施設では大型(1.2m)にまで育てるのは無理な魚ではある。

  この魚は他に例がないほど成長が早い。




257 (再)大敷網漁の魚達⑪ベイケン

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  アジの仲間だが、群れを作らない種類なので、大敷にはボツボツしか入らない。土佐ではベイケンの名で知られているが正式名(標準和名)はカイワリ。その名から貝を割って食べる魚を想像したが、この魚の口や歯の構造では貝を割るのはとても無理なので、不思議に思っていた。白身でおいしく、おなかに優しい魚とのことで、病人食として重宝されている。だから値段もいいのだが、小型なので1尾当りにすると大したことはない。体高が高く、キラキラしていて見栄えのいい魚なので、見かける度につれて帰ることが多かった。ベイケンの由来はわからないが、“カイワリ”は尾の形がカイワレダイコンに似ているのが、この名の由来とのことである。

  お腹の弱かった義母が好んだ魚なので、おかずになってしまったことも多かった。

256 (再)大敷網漁の魚達⑩ヤマノカミ

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  ミノカサゴはいろんな地方でヤマノカミと呼ばれているようである。これは私の推測だが、きれい(ピンクの振り袖のような大きなヒレを持つ)だけど恐い(毒棘がある)存在なので、ピッタリのアダ名だと思う。春先に、大型のミノカサゴが入網することがあるが、水深50m余りの海底から一気に引き揚げられるため、浮袋の調整が間にあわず、腹がパンパンにふくらんでしまっている。しかし丈夫な魚なので、太い注射針でガス抜きをしてやると、大多数は助けられる。市場では値がつかないので、私の水槽へ入れてくれていたが、白身でおいしいことが知れ渡り、最近では大型のものは「桂浜よ、おれが食ふぞ」と持っていかれることが多くなった。

  きれいな水族館向きの魚なので「桂浜が来てる時はやりいや…」と船長が声をかけてくれることも。

255 (再)大敷網漁の魚達⑨バンドウ

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  オウムのクチバシのような、かっこいい歯を持つアオブダイは、大型(80cmぐらい)のものが、棘網で捕獲されて入館することがあるが、傷がひどいことが多く、回復して餌付くまでにはいたらない。大敷網漁で見かけたことはなかったが、昨年末のこと、室戸から「桂浜(室戸での私の呼び名)よ、バンドウが獲れたから来い」との電話。バンドウと云ふのはアオブダイのことだが、数の多いヒブダイの雄も、そう呼ばれることがある。あまり期待せずに出かけて行った。しかし行ってみると、なんと80cmクラスのアオブダイが6尾!「こんなのがまとまって獲れたのは初めてだ」と船長も興奮気味。私にはすばらしいクリスマスプレゼントになったのである。

  ヒブダイと同じく大敷網ではめったにみられない。
プロフィール     ロリコンのおじん

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
桂浜水族館を縁の下から支えて半世紀。

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