517 (続)桂浜百景⑰桂浜の海底

潜子
  この景色を見ることが出来るのは、現在ではごく限られた人間だけである。昔(昭和の頃まで)は桂浜で海水浴をする人がかなり見られたが、度重なる海難事故(26~27人命救助・番外悲しい事故)を気にした高知市は、桂浜を遊泳禁止にしただけでなく、監視員を置いて、あろうことか波打ち際の水遊びまで禁止してしまったのである。だから私は、今では監視員が帰る午後五時以後にこっそり海に入る。海底の景色は、波によって砂が大きく移動して埋もれていた岩盤が掘り出されたり、巨大な岩が転がったりの変化はあるが、基本的には40年間ほとんど変わらない。ただ一つ大きく変わったのが珊瑚である。40年前には全く見られなかったが、ここ10年ほどの間にあちこちに沢山見られるようになっている。これも地球温暖化の証拠の一つに違いないのである。
スポンサーサイト

516 (続)桂浜百景⑯桂浜の砂粒

粒子
  桂浜百景と題しているが、この“砂粒”については誰にも見えない所にある砂粒のことである。必然的に起きたのが偶然に桂浜だけがそうなのかは、地質学の勉強をしたことがないのでわからないが、桂浜の深層部の砂層が5mm前後の砂粒で構成されていなければならないのである。昭和の初め頃、この浜に井戸を堀り水槽を作って魚類の畜養を始めた人がいた。それが桂浜水族館の初代館長(永国亀齢)である。そしてその井戸から汲み上げられた海水が、桂浜水族館の命(23桂浜水族館の命)となったのである。“砂粒”が粗いと濁りが取れないし、細かいと目詰まりを起こして水量が少なくなる。この浜の深部の砂層が、桂浜水族館を85年間も支える続けているのである。

515 (続)桂浜百景⑮五色石拾い

石子
  桂浜の砂の大部分は、10Kmほど西側の仁淀川から排出された砂利で形成されたものと思われる。仁淀川の上流には、赤や緑の巨大な岩石が並ぶ渓谷があり、そのあたりの岩も砕けて砂利となって運ばれてきているようだ。桂浜水族館の初代館長は、その色石に目をつけて“五色石”と名づけておみやげ物にすることを思い付いた。昭和34年のペギー葉山の“南国土佐をあとにして”の大ヒットに便乗して、桂浜と五色石も大ブレイク。桂浜とその西海岸での“石拾い”は近隣のおばちゃん達の素晴らしいアルバイトとして定着していった。しかし仁淀川上流に出来た大渡ダム(昭和43年着工)に堰き止められて色石の流入がなくなり、昭和の終わる頃には拾いつくされたようで“石拾い”のおばちゃん達は姿を消してしまったのである。

514 (続)桂浜百景⑭海亀の産卵

卵子
  私が桂浜に来た頃(昭和46年)はアカウミガメの上陸は数年に一回程度のごく稀な状態だった。しかしここ数年は、5~7月頃毎年のように、数頭の上陸跡が見られるようになった。ただし産卵を確認するのは稀で、多くは卵を産まずに帰っている。その理由は産卵穴が深く掘れないことにある。桂浜は砂粒が少し粗いために、途中で崩れて満足な深さ(約50cm)まで掘れず、何か所も掘り返した末、産卵を諦めて帰ってしまうのである。絶滅危惧種といわれ、数が少なくなっているはずのアカウミガメが、条件の悪い桂浜で多く上陸が見られるようになったのは、県内の海岸の砂浜がやせ細り、上陸を試みる場所さえなくなってきているせいではあるまいかと私は思っている。

513 (続)桂浜百景⑬初日の出

初子
  お月様は“がっかり”だがお日様のほうは大人気。桂浜は昔から“初日の出”見物で賑わう名所なのである。私の知る昭和40年代の後半から50年代にかけて、車社会の発達もあって、桂浜近くの海岸道路は午前3時頃には車が身動き出来ないほどの渋滞になってしまっていた。お正月も営業している水族館だが、朝の出勤は不可能な道路状況なので、私は除夜の鐘と共に出勤。徹夜で夜回りをしなければならなかった。寒風の中、夜明けを待つ人々が浜にゴロゴロ。油断していると木製のゴミ箱や餌用のトロ箱が持ち出され、浜で焼かれることもあった。そんな初日の出客も、昭和の終わる頃からは少しずつ減少し、最近では最盛期の三分の一ほどに減ってきた感じだが、それでも日の出後一時間以上は車の渋滞が続いているのである。

512 (続)桂浜百景⑫桂浜の月

月子
  よさこい節に“月の名所は桂浜”と歌われているが、これにはかなりの疑問符がつくと私は思っている。桂浜のシンボルである竜王岬の上に描かれた満月の図を見ることがあるが、その光景は明け方にしか起こらないのである。桂浜は東に開けた浜なので、仲秋の満月は浜の正面の室戸岬の上空に昇ってくる。そしてその満月は竜王岬とはかけ離れた天空を通過してゆく。高知には“がっかり名所”として全国的に有名な“はりまや橋”があるが、毎年仲秋の名月が東の空に昇るのを見るたびに「がっかり名所だな」と思うのは私だけなのだろうか?。

511 (続)桂浜百景⑪桂浜の雨

雨子
  桂浜の雨は激しい。梅雨末期や台風が近づいた時など、非常に激しい雨になることもある。切符売り場から竜王岬方面(南西方向)を眺めていると、その先の水平線が少しぼやけてくることがある。それは雨が降っている証拠なので「雨が来るからテーブルと旗を取り込んで」と指示すると、3~5分後には降りはじめる。もっと激しい雨の時には水平線が完全に消えてしまうこともある。そんな時に竜王岬を散策している観光客はお気の毒!。力いっぱい走っても、雨宿りができる水族館前のトイレに到達する前に、全身ずぶ濡れになるのは避けられないのである。

510 (続)桂浜百景⑩桂浜の花

花子
  桂浜の中央にある水族館のエントランスには大き目のプランターがあり、季節の花が植えられているが、水族館の係員が片手間に世話をしているので、手のかからない草花に限定されている。冬から春には定番のパンジー、夏場はサルビアやマツバボタンでなんとか色付けをしている。しかし桂浜自体となると植生は乏しい。龍馬像の下にハマユウの群落が少し、数年前にはその下部にハマヒルガオと薄紫色のハマゴウが根を広げ始めていたが、台風で根こそぎ流されてしまった。浜は殺風景だが山際には、秋になるとツワブキが黄色い花をつけ、その上部の崖にはノジギクの白い花が咲き誇る場所もある。

509 (続)桂浜百景⑨桂浜の釣り

釣子
  最近ではほとんど見かけなくなったが、昭和の頃桂浜はキス釣りの本場だった。5月から10月頃まで、浜で投げ釣りをする人が絶えなかったのである。多い時には20~30本の竿が並ぶこともあった。私はウニ採集のために浜で泳いでいて、波打ち際に大群を見つけ、慌てて餌と竿を用意して、30㎝近い大物を50尾ほど釣り上げたこともあった。そんなキスの姿が見えなくなってもう20年以上になる。しかしこのところ毎年のように、6月頃になると竿を出しているお年寄りを見かける。大昔に大漁をした覚えのある人が、夢を追っていると思うのだが、クーラーボックスを覗くと、小型のキスが2~3尾しか入っていないのである。

508 (続)桂浜百景⑧凧あげ

凧子
 桂浜では、お正月などに凧あげをする風景を見かけることがある。しかし地形の関係で、桂浜は風が安定しない所なのである。冬場の西風は竜王岬に当たって回り込み、複雑な動きをするようだ。切符売り場から見ていると、子供は砂浜を必死で走って、少しは揚がるのだが、大抵はクルクル回ってストンと落ちる。しかし、なかには風を読むことが出来る人もいるようだ。桂浜の東の端から洋凧のゲイラカイトを高く揚げて子供と遊んでいた。この人は4年ほど毎年お正月明けに現れて、家族連れで凧揚げを楽しんでいたのである。

507 (続)桂浜百景⑦太平洋

洋子
  大波の太平洋は素晴らしいが、静かな海もまた魅力的である。正面80キロ先の室戸岬の右側に伸びる水平線。太平洋は空の蒼を映して広がる。大雨の後などは、西側の仁淀川と東の浦戸湾から吐き出された河川水で白濁するが、太平洋はすぐにもそれを飲み込んで、翌日には青さを取り戻す。雲が飛ぶ秋空には、その影を映してまだら模様の青い海が面白いし、梅雨時の鉛色の雲がそっくり映り込んだ黒い海も趣がある。太平洋は眺めているだけで癒されるのである。

506 (続)桂浜百景⑥桂浜の波

 波子
 母校、高知大学南溟寮の寮歌に“この浜(桂浜)寄せる大波は、カリフォルニアの岸を打つ…”との一節がある。学生時代には、桂浜が南東に開けた浜だと思っていたので、その正面になるのは、南米のチリかせいぜいパナマあたりだと思っていた。しかしある時、切符売り場で世界地図を広げたことがあり、桂浜の正面が室戸岬で、その先を延長していくと本当にカリフォルニアあたりにたどり着くことを確認したことがあった。実際の波が、カリフォルニアに到達するわけがないことはわかってはいるが、台風の大波が打ち寄せるのを見る度に、大声で歌った学生時代を思い出すのである。

505 (続)桂浜百景⑤冬

冬子
  桂浜の冬は寂しい。12月には北風が、1月になると西風が吹き抜けることが多くなる。しかし桂浜は陽だまりの浜。風はほとんど当たらない。水族館前のエントランスのポッドに植えられたハイビスカスは、寒気に立ち枯れているが、その周りのパンジーは「もうすぐ春だよ」と咲き誇る。冬場の寂しい桂浜が唯一賑わうのが元旦の“初日の出”である。最近はだいぶ少なくなってきてはいるが、それでも周辺の道路は、日の出(7時12分)から一時間以上、大渋滞が続くのである。30年ほど前のことだが、この“初日の出客”が水族館に入ってくれたら?と考えて、早朝開館を試みたことがあったが、完全な空振だった。

504 (続)桂浜百景④秋

秋子
  桂浜の秋は短い(私の解釈では秋は10月半ばから11月)。“春は海・秋は山”というのが観光の定番なので、桂浜も当然人出は少なくなる。桂浜は山に囲まれているが、海辺の特徴どうり松の木や潮風に強い常緑樹が多く、紅葉する木としてはハゼがポツポツとしか見えない。観光客を呼びたいお役所は“龍馬祭り(命日の11月15日前後の日曜日)”で盛り上げようとするるが、水族館にはあまりメリットが無い。切符売り場の正面、80キロ先の室戸岬を眺めながら、数少ない観光客に対応するのだが、昭和の終わる頃からは、中国大陸からの汚れた空気が流れ込むことが多くなり、岬の先端まできれいに見える日は、ほとんどなくなってしまっているのである。

503 (続)桂浜百景③夏

夏子
  6月の梅雨入りから10月中旬までが、私にとっての“夏”である。梅雨明けの強い日差しが砂浜を焼き、かげろうが立ち昇る。私が好きなのはその先に広がる太平洋。水平線がくっきりした静かな海もいいが、やはり夏の海は台風のうねりの来る海が楽しい。桂浜のシンボルである竜王岬に打ちかける大波は見飽きることがない。先端の海津見神社(海抜13m)の、はるか上まで波しぶきが上がり、観光客が逃げ惑う姿を見たこともある。「財布入りのバックが流された」「弟が波にさらわれた」などの駆け込みもあった。しかし夏場は水族館のかき入れ時。特に夏休み期間の一ヶ月余りで、年間の三割以上を稼がねばならない。のんびり海を眺めている暇はないのが実情なのである。

502 (続)桂浜百景②春

春子
  桂浜の春は長い。2月になると“光の春”、冷たい風が吹く時季だが、桂浜は東に開けた浜なので、雪おろしの北風も強い西風もほとんど当たらない。目の前の太平洋は陽の光に煌めく。その光に誘われて桂浜は観光シーズンを迎える。春本番は3・4月。最近は少なくなったが、昭和の後半の頃は遠足の小学生や幼稚園児が駆け回っていた。白装束のお遍路さんはチリチリ鈴を鳴らしながらの素通りだが、家族連れやグループが砂浜で弁当を広げている姿が見られた。5月になると土佐の太陽は真夏のエネルギーで照りつけるが、私の解釈では梅雨に入るまでが“春”の範ちゅうなのである。

501 (続)桂浜百景①ポケモンゴーロゴロ

ピカ子
  それは昨夏(正確には7月22日)突然に始まった。日の暮れるころになると、桂浜に若者たちが集まるようになったのである。そして夏休み中にどんどん増殖していった。みんな片手に“スマホ”なるものを持ち、それを覗きながらフラフラ歩く。浜辺の歩道にもいるが、多くは龍馬像周辺とその下部の広場でゴロゴロ。ベンチに座っている者もいるが、あてもなく(そのように見える)フラフラゴロゴロ、立ち止まってはまたフラフラである。なんでも桂浜には“レア物”がいるとのこと。夏休みが終わっても人数は増え続けた。帰りが遅くなった時など、車のライトが当たっているのになかなかよけてくれない。周辺の道路にも違法駐車が目立ち、帰路を塞がれて困ったことも。さすがに寒くなってからは人数が少なくなってきているが、そろそろ暖かくなって「またゴロゴロが増殖してきたら困る」などと考えるのは、年寄りのひがみなのだろうか。

500 (続)桂浜百景(序)

桂子
  エコおやじは桂浜水族館の切符売り場に座り続けて46年余りが過ぎた(旧館での13年も含む)。基本的には土・日・祝日だが、春・夏・冬休みなどにも座ることがあったので、年間130日余り。それから計算すると6000日近く桂浜を眺め続けていたことになる。以前にもこの切符売り場からの眺め(201~217桂浜百景)や人間模様(301~316鳥かごより)を書いたが、今回はその続編である。桂浜の春夏秋冬、太平洋の波・風などについて、エコおやじの偏見に満ちた目での感想を綴って見ようと思っている。

499 エコおやじ救急車⑰幕切れ

テングダイ2
  11月30日は再度の衝撃波治療の指定日。「弱いけど麻酔注射をするので、車で来ないで」と言われていた。「あんな痛いのはもう受けたくない」と嫌がる私を女房は無理矢理車に押し込んで病院へ。レントゲンを撮ってからの待ち時間。何度も逃げ帰りたくなった。ところが先生はレントゲンと超音波エコーの画像を見返して「うーん『石』が見当たらないですね。前回でうまく壊れてくれたようです。衝撃波はもう必要ないですよ」と信じられない嬉しいお言葉!「小さく砕けた『石』は自然に流れ出たはずですが、なかには留まってまた太るのもあります。異常を感じたら早めの受診を」との説明のあと、尿管に入れてあるステントを抜く手術(これは挿入時(494⑫再入院)同様、非常に痛かった)を済ませてくれた。それによって今回の騒動は、突然の幕切れとなったのである。     おしまい

498 エコおやじ救急車⑯ダメージ

フレームエンゼル
  衝撃波によって破壊されるのは『石』だけではないようだ。腎臓組織にも多大なダメージを与えているのは間違いない。「『石』のカケラからが出るかも知れないので、出来れば拾って持って来て下さい」と言われていたので、家に帰ってすぐにペットボトルの口を切ってシビンを作った。その中に溜まったのは“血尿”と云うよりも“出血”としか思えないような真っ赤な液体だった。排尿痛と共にペニスから滴り落ちる液体が赤から橙色、そして黄色に戻るまでに三日間が必要だった。さらにその一週間後、以前から予約してあった健保協会の健康診断を受けたが、尿蛋白と潜血が2+と出た。その時点で、まだ腎臓のダメージは消えていなかったのである。ちなみに毎回シビンに入れて探していた『石』だが、カケラは見つからなかった。   つづく
プロフィール

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
FC2ブログへようこそ!

かうんた
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR