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591 悩まされた仕事③水漏れⒷマンボウ水槽

コバンアジ
  この水槽は私がマンボウを飼育するために作ってもらった50tほどの水槽だが、10年ほど前マンボウの飼育を諦めると、若いのがアオウミガメを入れた。それから半年ほどすると、水漏れが始まったのである。亀がパテを傷つけたのは間違いない。そこで潜って何度も何度も調べてみたが、パテの傷が予想以上に多くて場所が特定できない。考えたあげくに思いついたのが、白点病の治療に使われているメチレンブルー。この色素を注射器に入れて、傷ついたパテの周りをグルグル回って、やっとのことで吸込み口を見つけた。ドライバーを差し込むとドンドン吸い込むので、そこに水中ボンドを押し込むと見事ピッタリ止まったのである。
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590 悩まされた仕事③水漏れⒶイサキ水槽

ケショウフグ
  新築から数年。最初の水漏れはイサキ水槽だった。コンクリートのクラックからか、アクリルガラスとコンクリートの隙間を埋めるパテが原因なのかはわからない。完全に止めるなら水を抜きFRPを剝がしパテも外して詰め替えねばならない。時間も費用も大変!。そこで私は水溜めたまま、魚もそのままでの修理を試みた。閉館後に水槽に潜り、水中ボンドで怪しい所を埋めてまわる。うまくいかないこともあったが、しばらくは止まっていることもあった。しかし一ヶ月から半年でまた漏れ出し始める。10年近くこれを繰り返した末にたどり着いたのが“水逃がし”。かなり見苦しいが、漏れ出た水を水槽の裏側へ導いて排水するようにセットして現在に至っているのである。

589 悩まされた仕事②侵入者警報Ⓓ緑青

クマノミ
  アオサギ対策から20年余り出なかった誤報が、今春またしても出始めた。春になってからなので“虫”の気配を感じてシリコンを張り直してみたが、やはり数日おきに発報する。昨年、近くで工事をした時ユンボが配線をひっかけたことがり、その部分の断線を疑って掘り返して調べてみたが異常なし。コントローラーやセンサーを予備品と取り替えたりもしてみたが、やはり毎晩又は数日おきに誤報が出る。館長に「修理不能です、寿命かも?」と報告した上でさらに調べていたら、受光機側の電圧が不安定なのがわかった。計る度に5ボルトから12ボルトの間を移動する。もしかしてこれは断線しかかっているのかもと思い、接続部を探すため本体から天井裏に入って線を追っかけてゆくと、壁穴を通り抜けた軒下に結線部を見つけた。ビニールテープの端からほんの少しの緑青がのぞいている。これだ!と確信しビニールテープを剝がして緑青でボロボロの銅線を繋ぎ直す。ここまでくるのに一ヶ月以上悩まされ続けたのであった。

588 悩まされた仕事②侵入者警報Ⓒアオサギ

キアマダイ
  その後数年間は順調だったが、ある年の初冬またしても誤報が出始めた。当時の宿直はアルバイト学生「10分おきに鳴ることもあって眠ることも出来ない」と泣きついてきた。ハトや猫は引っかからないはずだし、虫やアリも活動が弱い時季だし。警報は毎晩1時頃に出るとのことで一晩付き合ってみることにした。本館の隅に隠れて待つこと一時間、現れたのはアオサギだった。タッチングプールの小魚を狙って歩き回っていたのである。学生には「侵入者と鉢合わせしないように、警報が出たらライトをつけて音をたてながら巡回…」と教えてあったので彼が巡回すると逃げていたようだ。仕方なく、またセンサーの位置を高くしてセットし直さなければならなくなったのである。

587 悩まされた仕事②侵入者警報Ⓑネコ・ハト

カクレクマノミ
  しばらく出なかった誤報がまた出るようになってきた。誤報は明け方、それも明かるくなってからのほうが多いとのことなので虫の可能性は低いと思いつつ、シリコンを張り直してみたが効果はなかった。宿直員に注意して見てもらったら、どうやら猫が原因らしいことが分かった。そこで猫の通路を塞いで一安心。しかし頻度は下がったがやはり誤報は出る。宿直員に早朝の張り番をしてもらって見つけたのがキジバトだった。ハトには特定の通路はないので、仕方なくセンサーの位置を10㎝ほど高く移動させて、やっと明け方の誤報はなくなったのである。

586 悩まされた仕事②侵入者警報Ⓐ虫

オキナヒメジ
  新築当時、夜間の侵入者に悩まされた私は手製の警報を作った(457エコおやじの工夫⑩釣り糸警報)が、後に赤外線警報をセットしてもらった。ところがこの警報装置は度々誤報を出して困らせてくれた。発報の度に宿直員は館内を巡回しなければならない。空振りが続くと宿直員は怒り出す。セットした電気屋を呼んで調べてもらっても「わからない…」と。仕方なく私が装置を分解。眺めていてふと気付いたのがセンサーのそばを歩く小さなアリ!。もしかしたらこのアリが侵入したのかも?と思いつつよく見ると、小さなゴキブリの抜け殻と思えるものを見つけた。こいつが悪さをしたに違いないと確信し、装置全体をシリコンでぐるっと目張り。以後誤報はピッタリと止まったのである。

585 悩まされた仕事①排水管詰まり🄫穴詰まり

エゾイソアイナメ
  移転新築から20年以上が過ぎてプールの痛みがひどくなってきた頃、アシカプールの主排水の流れが悪くなってきた。正常なら一時間たらずで空になるはずのプールが、二時間以上かかるようになってきたのである。100㎜の排水管が詰まるわけがないと思っていたので理由がわからず悩み続けていたが、バルブを開けた時の勢いが少し弱いように感じて、思い切ってバルブ本体を取り外してみた。すると手の届くギリギリの所に曲がり角があって、そこに太目の木の枝がかかり、それにプールに貼り付けてあるFRPのかけらが重なり、さらに松葉が流れを止めていたのである。肩まで手を入れてなんとか木の枝を引きずり出し、詰まりは一気に解消。再発防止のためプール側のストレーナーをアシカがイタズラしてもはずせないように、しっかり固定したのである。

584 悩まされた仕事①排水管詰まりⒷ工事ミス

ウマヅラハギ
  目皿を設置してあっても、一部の松葉はすり抜ける。そして特定のパイプではそれが目詰まりをおこす。原因は途中に何かの異物があり(考えられるのは工事ミス)、それに少しづつ引っかかり、ついには穴詰まりになるのである。アシカ・ペンギン水鳥などのプールの多数の排水穴のうち、5ヶ所ほど引っかかりのある排水管があり悩まされている。目詰まりで流れなくなると、エンジンポンプをセットして下流側の桝から逆洗、すると大量の松葉が吹き出してくる。その瞬間は便秘が解消したときのようなスッキリした気分になるのだが、2~3ヶ月ごとに繰り返さねばならなず悩ましいのである。

583 悩まされた仕事①排水管詰まりⒶ松葉

イタチウオ
  当館は高知市の桂浜公園内の一部を借地して建てられている。敷地には樹齢百年を超えるクロマツが十数本あり毎日松葉が降りそそぐ。従業員は毎朝その松葉の清掃から仕事が始まるが、当然のことプールにも。水面の松葉はプールのへりにある排水穴に流される。穴には目皿があり松葉はそこに集まる。若いのが毎朝の掃除を面倒がって目皿を取り除いて捨ててしまった。結果松葉は排水と共に海まで流れ出るようになったが、私の恐れていたことも!。一部の穴はパイプの途中で松葉が引っかかり流れなくなってしまうのである。目皿をつけて毎朝掃除するか、詰まってしまった穴を手押し式やエンジンポンプをセットして吹きぬくか。今も若いのともめ続けているのである。

582 悩まされた仕事(序)

アカマンボウ
  エコおやじのは46年前、飼育員として桂浜水族館に就職したが、その時の館長は「ワシは館長兼小使いで、魚も電気も機械の面倒もみゆう。お前はそのワシの助手じゃきに、何でもやらにゃいかん」と言っておよそ考えられないような仕事(②初日④水道管修理⑥飼育員の仕事)を次々とさせられた。館長の“召使い”と感じることも度々だった。しかし館長の友人の大工の棟梁(268恩人③スエやん)や子分(270恩人浪やん)の弟子としていろいろ学び、おかげで昭和59年の移転新築の頃には設備全般を任されるエコおやじになりつつあったのである。今回はそのエコおやじをおおいに悩ませてくれた仕事を思い返してみたいと思う。

581 土佐弁と私⑩阿波なまり

ワニゴチ
  30年余り前の話だが、息子達の小学校の先生との面談から帰った女房が「ご主人は県外の人ですね」と言われたと。私は学生時代を除いても、結婚まで3年と息子達が小学生になるまでなので10年以上は土佐弁に慣れ、使いこなしてきたつもりだったが、阿波弁の“さ・し・す・せ・そ”はかなり癖の強い発音のようで、それが少なからず息子達に移っているのを先生に見抜かれていたようだ。“江戸っ子は三代目から”と言われているように、二代目(母親は土佐人だけど)の息子達は、まだ土佐人にはなり切れていないようなのである。 

“土佐弁と私”は今回で終了。来週は、まだ原稿が出来てなくて悶えていますが、なんとか間に合わせるつもりです。イラストも“あいうえお”から一周したので、再度“あ…”からスタートの予定です。




580 土佐弁と私⑨ちゃがまる

ロウニンアジ
  二か月ほど前のことである。当館に“ちゃがまらん”と名乗るユーチューバーが来て、館内でお気に入りの魚や動物達を撮影してまわったことがあった。その案内役をしていた若いのが「“ちゃがまらん”てどんな意味?」と聞いてきた。彼は大阪出身で、桂浜に来て一年半ほど。まだ“ちゃがまる”に出会ったことはなかったようである。私の場合は桂浜に来て三年余りの頃。買ったばかりの中古車がダウンした時「はや“ちゃがまったかよ”。けんど一ヶ月に9000kmも走らす(345桂浜への道⑰イルカに通う)人は知らんぜよ」と車屋に言われた時と記憶している。一年半では無理もあるまい。

579 土佐弁と私⑧しいれえ

レンテンヤッコ
  結婚した翌年の秋口のことだったと思う。義母に「“しいれえ”が綺麗なそうなから連れてって」とアッシーを頼まれた。高知に来てほぼ10年(学生時代を含む)が過ぎていたが、初めて聞く言葉だったのですぐに聞き返せば良かったのだが、何か別の話に飛んでしまって聞きそびれてしまった。「綺麗・連れてって」から想像して、多分お花見だろうとは思ったが、その晩女房に聞くと「田んぼのあぜ道やお墓に咲く赤い花が“しいれえ”」と言う。秋の田んぼのあぜ道の赤い花なら「彼岸花か?」と聞くと「そう」と。土佐では“まんじゅしゃげ”の名はほとんど使われていないようなのである。

578 土佐弁と私⑦いんげ

ルリスズメダイ
  DNAの指示(328桂浜への道(序))に従って土佐に舞い戻った私の周りは、今度は土佐弁が溢れていた。下宿のおばさんも、館長はもちろん水族館の従業員も全員が土佐の人ばかり。中でも私が毎日昼食を食べていた、おみやげ店のおばあちゃんが話好き。カレーを食べに行く度に、必ず横に座って話しかけてくる。人間嫌いぎみの私を無理矢理土佐弁で引き込んでゆく。“いんげ・いんげ(そうではないとの軽い否定の意味)”を繰り返す。始めは鬱陶しくも感じたが、私に好感を持ってくれていることはわかるので、楽しく付き合えるようになり、意味の分からない古い土佐弁なども多く聞かされ、土佐弁に慣れさせられていったのである。

577 土佐弁と私⑥土佐弁との別れ

リュウグウノツカイ2
  高知大学には五年間在籍(一年留年)したが、すべて寮生活だったせいもあり、一般的な土佐弁と触れ合える機会はあまり多くはなかった。二年生で出会った“ちゅう”の女の子以来、土佐弁への嫌悪感はなくなったが、私の周りには九州弁の“ごたる”や広島弁の“じゃろう”が飛び交い、私も阿波弁の“ほなけん”から抜け出してはいなかった。卒業と共に大阪に就職。大阪弁は敬語や丁寧語が“さかい”や“でんなあ”などとうまくごまかせる感じで、使い勝手が良くすぐに慣れていった。私の中で少しだけ住み着きかけていた土佐弁は、そのまま消えてゆく運命と思われていたのである。

576 土佐弁と私⑤ちゅう?

ラブカ2
  大学二年生になった四月始めの事。たまたま立ち寄った本屋で書架をながめていた時、すぐ後ろで声がした。「おばちゃん、こくごの本きちゅう?」その最後の“ちゅう?”に私は生まれて初めての何とも表現できない美しい響き・感覚を覚えたのである。振り向くと新一年生が母親と一緒に教科書を買いに来たところだった。本屋のおばさんとのやり取りを聞いていて、その女の子の可愛い声が心に響き、それまで耳障りと思っていた“がー・きー・ほら”などの土佐弁が、突然美しい言葉に変わってゆくのを覚えた。それは私自身がロリコン(315鳥かごより⑭ロリロリウオッチ)であることを自覚し始めた瞬間でもあったのである。

575 土佐弁と私④いながら

ヨスジフエダイ
  水泳部には前出の女性の他に、二人の高知県出身者がいた。高校からの同級生だった彼らはいつも仲良くつるんで喋っていたが、近くで聞いていると“いながら・いんながら”と繰り返していた。話の道筋からして“そのまま”とか“突然”とかの感じで通じそうなのはわかるのだが、私を含めて県外人には使える感じにはならない言葉であった。主に若い男性が多用する感じだったが、最近ではほとんど聞かれなくなってしまったような気もする。

574 土佐弁と私③のうが悪い

ユキフリソデウオ
  水泳部の女性との会話で、もう一つ面食らったのが“のうが悪い”だった。体調不良の中で何かの共同作業中「高谷君はのうが悪いみたいね」と声をかけられた。彼女とは特に親しいわけでもなければ、嫌われているとも思っていなかったので、これには戸惑った。多分怪訝な顔になったのだと思う。その時も彼女はすぐに気づいて「土佐では体調が悪い時や能率が悪いときに“のうが悪い”と言います。“脳みそ”ではなく“能率”のことですね」と教えてくれた。私の体調を気遣ってくれていたのである。「県外の人には気分を害される事が…」との事だった。

573 土佐弁と私②変わるにかわらん

ヤミハタ
  大学では中学・高校と続けてきた水泳部に入部したが、そこに一人だけ女性部員がいた。彼女は南国市出身の“はちきん(男まさりの女性)”だったが、ある日平泳ぎのルールについて話していた時「今年から“変わるにかわらん”」と言われて面食らった。「えっ」と言った私の怪訝な顔に気づいた彼女はすぐに「“かわらん”は推量の言葉で土佐ではよく使われます“多分変わるだろう”の意味ですね」と詳しく教えてくれた。そして私が徳島県の出身であることを知っていた彼女は「阿波弁の“あるでないで(あるではありませんか)”と似たような表現ですね」と付け加えてくれたのである。

572 土佐弁と私①きい・ほら

モンガラドオシ
  昭和40年4月。18才の私は郷里の鳴門市を離れ、高知大学南溟寮に入寮した。寮には四国の3県と九州・中国地方の出身者が多く、当然のことながら高知県出身者はほとんどいなかった。寮と学校の往復がほとんどで、街中にはあまり出なかった私だったので、土佐弁との出会いは少なかった上、第一印象が悪かったのか、たまに飛び込んでくる土佐弁の“きい・ほら”が耳障りで不快感さえ覚えた。自分の阿波弁には全く気づかず、九州弁や広島弁の男達と「土佐弁なんて…」と話し合っていたものだったのである。  
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