505 (続)桂浜百景⑤冬

冬子
  桂浜の冬は寂しい。12月には北風が、1月になると西風が吹き抜けることが多くなる。しかし桂浜は陽だまりの浜。風はほとんど当たらない。水族館前のエントランスのポッドに植えられたハイビスカスは、寒気に立ち枯れているが、その周りのパンジーは「もうすぐ春だよ」と咲き誇る。冬場の寂しい桂浜が唯一賑わうのが元旦の“初日の出”である。最近はだいぶ少なくなってきてはいるが、それでも周辺の道路は、日の出(7時12分)から一時間以上、大渋滞が続くのである。30年ほど前のことだが、この“初日の出客”が水族館に入ってくれたら?と考えて、早朝開館を試みたことがあったが、完全な空振だった。
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504 (続)桂浜百景④秋

秋子
  桂浜の秋は短い(私の解釈では秋は10月半ばから11月)。“春は海・秋は山”というのが観光の定番なので、桂浜も当然人出は少なくなる。桂浜は山に囲まれているが、海辺の特徴どうり松の木や潮風に強い常緑樹が多く、紅葉する木としてはハゼがポツポツとしか見えない。観光客を呼びたいお役所は“龍馬祭り(命日の11月15日前後の日曜日)”で盛り上げようとするるが、水族館にはあまりメリットが無い。切符売り場の正面、80キロ先の室戸岬を眺めながら、数少ない観光客に対応するのだが、昭和の終わる頃からは、中国大陸からの汚れた空気が流れ込むことが多くなり、岬の先端まできれいに見える日は、ほとんどなくなってしまっているのである。

503 (続)桂浜百景③夏

夏子
  6月の梅雨入りから10月中旬までが、私にとっての“夏”である。梅雨明けの強い日差しが砂浜を焼き、かげろうが立ち昇る。私が好きなのはその先に広がる太平洋。水平線がくっきりした静かな海もいいが、やはり夏の海は台風のうねりの来る海が楽しい。桂浜のシンボルである竜王岬に打ちかける大波は見飽きることがない。先端の海津見神社(海抜13m)の、はるか上まで波しぶきが上がり、観光客が逃げ惑う姿を見たこともある。「財布入りのバックが流された」「弟が波にさらわれた」などの駆け込みもあった。しかし夏場は水族館のかき入れ時。特に夏休み期間の一ヶ月余りで、年間の三割以上を稼がねばならない。のんびり海を眺めている暇はないのが実情なのである。

502 (続)桂浜百景②春

春子
  桂浜の春は長い。2月になると“光の春”、冷たい風が吹く時季だが、桂浜は東に開けた浜なので、雪おろしの北風も強い西風もほとんど当たらない。目の前の太平洋は陽の光に煌めく。その光に誘われて桂浜は観光シーズンを迎える。春本番は3・4月。最近は少なくなったが、昭和の後半の頃は遠足の小学生や幼稚園児が駆け回っていた。白装束のお遍路さんはチリチリ鈴を鳴らしながらの素通りだが、家族連れやグループが砂浜で弁当を広げている姿が見られた。5月になると土佐の太陽は真夏のエネルギーで照りつけるが、私の解釈では梅雨に入るまでが“春”の範ちゅうなのである。

501 (続)桂浜百景①ポケモンゴーロゴロ

ピカ子
  それは昨夏(正確には7月22日)突然に始まった。日の暮れるころになると、桂浜に若者たちが集まるようになったのである。そして夏休み中にどんどん増殖していった。みんな片手に“スマホ”なるものを持ち、それを覗きながらフラフラ歩く。浜辺の歩道にもいるが、多くは龍馬像周辺とその下部の広場でゴロゴロ。ベンチに座っている者もいるが、あてもなく(そのように見える)フラフラゴロゴロ、立ち止まってはまたフラフラである。なんでも桂浜には“レア物”がいるとのこと。夏休みが終わっても人数は増え続けた。帰りが遅くなった時など、車のライトが当たっているのになかなかよけてくれない。周辺の道路にも違法駐車が目立ち、帰路を塞がれて困ったことも。さすがに寒くなってからは人数が少なくなってきているが、そろそろ暖かくなって「またゴロゴロが増殖してきたら困る」などと考えるのは、年寄りのひがみなのだろうか。

500 (続)桂浜百景(序)

桂子
  エコおやじは桂浜水族館の切符売り場に座り続けて46年余りが過ぎた(旧館での13年も含む)。基本的には土・日・祝日だが、春・夏・冬休みなどにも座ることがあったので、年間130日余り。それから計算すると6000日近く桂浜を眺め続けていたことになる。以前にもこの切符売り場からの眺め(201~217桂浜百景)や人間模様(301~316鳥かごより)を書いたが、今回はその続編である。桂浜の春夏秋冬、太平洋の波・風などについて、エコおやじの偏見に満ちた目での感想を綴って見ようと思っている。

499 エコおやじ救急車⑰幕切れ

テングダイ2
  11月30日は再度の衝撃波治療の指定日。「弱いけど麻酔注射をするので、車で来ないで」と言われていた。「あんな痛いのはもう受けたくない」と嫌がる私を女房は無理矢理車に押し込んで病院へ。レントゲンを撮ってからの待ち時間。何度も逃げ帰りたくなった。ところが先生はレントゲンと超音波エコーの画像を見返して「うーん『石』が見当たらないですね。前回でうまく壊れてくれたようです。衝撃波はもう必要ないですよ」と信じられない嬉しいお言葉!「小さく砕けた『石』は自然に流れ出たはずですが、なかには留まってまた太るのもあります。異常を感じたら早めの受診を」との説明のあと、尿管に入れてあるステントを抜く手術(これは挿入時(494⑫再入院)同様、非常に痛かった)を済ませてくれた。それによって今回の騒動は、突然の幕切れとなったのである。     おしまい

498 エコおやじ救急車⑯ダメージ

フレームエンゼル
  衝撃波によって破壊されるのは『石』だけではないようだ。腎臓組織にも多大なダメージを与えているのは間違いない。「『石』のカケラからが出るかも知れないので、出来れば拾って持って来て下さい」と言われていたので、家に帰ってすぐにペットボトルの口を切ってシビンを作った。その中に溜まったのは“血尿”と云うよりも“出血”としか思えないような真っ赤な液体だった。排尿痛と共にペニスから滴り落ちる液体が赤から橙色、そして黄色に戻るまでに三日間が必要だった。さらにその一週間後、以前から予約してあった健保協会の健康診断を受けたが、尿蛋白と潜血が2+と出た。その時点で、まだ腎臓のダメージは消えていなかったのである。ちなみに毎回シビンに入れて探していた『石』だが、カケラは見つからなかった。   つづく

497 エコおやじ救急車⑮衝撃波

マダラトビエイ
  10月31日は『石』を衝撃波で破壊する手術の日。1~2時間ほどとは聞いていたが、どんな治療なのかの予備知識は全くなかった。レントゲンと思われる装置のついたベットに寝かされると、腰のあたりの板が半分はずされ、下から超音波エコー装置が当てられた。「それでは始めます」の声でパチンパチンと指先ではじくような小さな衝撃が背中を打つ。『なんだ、大したことはないや』と思ったが『待てよ、これが一時間以上続いたら…』と大きな不安が襲ってきた。案の定10分ほどすると、それは腰の右半分全体にひびくような衝撃に変わってきた。一秒ごとに背中に打ち込まれる痛み!。レベルは9~10!。ピーポーの時より痛い。30分ほどして、私の苦悶の表情を見た先生が「痛そうなので中断しましょう。次回は一ヶ月後にやりますよ」。私は「こんなに痛いのは二度とやりたくないです」と言いって、フラフラしながらタクシーで帰途についたのであった。   つづく

496 エコおやじ救急車⑭入院費

サザナミフグ
  先生が早目に退院させてくれたのは、私の体調よりも“フトコロぐわい”を考慮してくれたのかもしれない。看護師に「個室ベット代は私には厳しい。体調よりも費用のほうが心配で頭が痛い」と訴えたのが先生に届いたのかも?。実際今回の入院費2万2千円(二割負担)のうち、個室ベット代(全額負担)が1万7千3百円(一泊だけだったが“午前0時を基点に”とのルールがあるとかで、二泊分プラス消費税)だったのである。“安静”と言われてはいたが翌日(14日)は土曜日。私は切符売りを休めない。朝はきれいに見えた尿が昼過ぎには血尿に。しかし排尿痛以外は痛みも発熱も現れず、順調に回復しつつある実感は得られた。残るは爆弾(『石』)の処理だけである。   つづく

495 エコおやじ救急車⑬大量の血尿

ホンソメワケベラ
  内視鏡で傷ついたペニスの痛みで夕食には手が出ず、お茶だけ少し飲んでベットで安静。そして排尿痛に苦しみながらシビンで尿の量を計る(先生の指示)。一時間おきに真っ赤な小便が200cc余り。それが痛い!。10回目あたりから色が少し薄くなった感じだが、それにしても量が多い。計算すると、手術から朝8時までの16時間で4ℓ近く出たことになる。前日は朝牛乳100ccほど飲んだだけで病院に来て、以来飲まず食わず。点滴を4本入れたので2ℓだから、差し引き2ℓ近い水分が血尿の形で流れ出たことになる。体に力も入らず、脱水症状のせいと思うが、朝の検診では血圧が85の60と言われた。この分では2~3日入院をさせられるかも?、と思っていたら「血液検査は大丈夫ですので退院してください。しかし安静ですよ」と先生。私は大急ぎで、昨日から停めっぱなしの車に飛び乗って帰ってたきのであった。   つづく

494 エコおやじ救急車⑫再入院

チンアナゴ
  「腎臓に膿が溜まって水腎症になっているようなので、尿管ステント手術が必要です。緊急入院して下さい」と、そのままベットで点滴につながれた。ところが「病室に空きがないので“個室”になります。一泊8千円かかりますがいいですか?」と看護師。「そんなの困る、入院をやめます」と言うわけにもいかず…。手術は膀胱内視鏡を使って腎臓まで細いパイプを入れ、尿管を塞いでいる『石』を押しのけて、溜まっている膿を出すとのこと。「あまり痛くはないはず」との説明だったが、内視鏡をペニスに押し込まれた時の痛さ!。瞬間だがレベルは10~12ぐらい「ギャーッ」と大声で叫んでしまった。「すぐですよ、すぐ済みます」と励まされて、手術は10分間ほどで終わったのである。   つづく

493 エコおやじ救急車⑪予想外

ナンヨウハギ
  再入院を覚悟してのピーポーだったが、予想外にもERの先生は「CTを見ると『石』が少し小さくなっているようなので、かけらが尿管を通過して痛みが出たのかも?。血液検査のほうは悪くないので今夜は帰って下さい」と痛み止めの座薬を処方してくれた。付き添ってくれていた次男と、深夜の街を歩いてタクシー乗り場へ。「やれやれ」と自分のベットに潜り込んだ。翌8日からは3連休なので私は切符売り場。昼過ぎまでは快調だったが、夕方には違和感。帰宅後は鈍痛と発熱。それを座薬で抑え込んでの3日間。それでもほんの少しずつだが良くなってきてるような気配も感じていた。しかしスッキリはしないので、薬(抗生剤)が切れる13日に、予約外で受診することにした。すると先生から予想外の言葉。   つづく

492 エコおやじ救急車⑩退院・再ピーポー

アイゴ
  10月6日(入院5日目)の朝「血液の状態が良くなって来たので退院出来ます」と先生。予定より1日早く帰れることに大喜び。帰って自分のベットに飛び込んで、そのまま夕方までひと眠り。久しぶりに食欲も出て夕食をたっぷり食べ、その晩は4日分の睡眠不足を取り返すように、ぐっすりと眠ったのである。7日の朝は『完治』の気分で出勤したのだが、そんなに甘くはなかった。3時頃に違和感が現れ、終業時には鈍痛に変わってきた。急ぎ帰宅し、処方されていた痛み止めを飲んでベットに潜り込む。しかし薬は全く効かず、レベルは少しずつ上昇。8~9が一時間近く続き、のたうち回る私を見かねて女房は、とうとう再度ピーポーを呼んだのであった。  つづく

491 エコおやじ救急車⑨退屈な日々

ハマクマノミ
  それから3時間余り、何とも言えない不快な時間が続いたが、8時過ぎに大量の汗が出て体温は37.5度まで下がった。しかしそれ以後は痛みも発熱も全く現れず、退屈な日々がスタートした。治療は点滴による抗生剤の注入だけで、点滴バッグをぶらさげたポールを押してトイレへ行く以外は、ベットに転がっているだけの一日である。泌尿器科の濱田先生は「腎臓から尿管の辺りの炎症を抑え込むのに6日間の入院。その後、外来で『石』の衝撃波破壊をします。もし壊れなければ再入院で、全身麻酔による手術が必要になることもあります」と説明。かなり大変な病気のようである。しかし現在は退屈で時間が過ぎてくれない。そんな時に思いついたのが、今回の入院をブログのネタにすることだった。そこで暇にまかせて、違和感から始まってピーポーに乗せられた経緯をメモ書きし、さらに下々書きを作って退屈しのぎをしたのである。   つづく

490 エコおやじ救急車⑧悪寒

サラサハタ
  早朝「点滴の交換です」と看護師が作業をして帰ったすぐ後、突然身体全体に不快感が現れた。『???』この感覚は何だろうと思ううちに、全身がブルブル震え出した。『これはインフルエンザの時の発熱の始まりの“悪寒”のようだ』と感じると同時にナースコール!。呼吸も困難になり、ゼーゼーハーハーが病室に響いた。看護師が酸素ホースを鼻に入れてくれて、電気毛布をかけて身体を押さえてくれたようだった。多分30分ぐらいで落ち着いたと思うが、体温は39.8度とのことで解熱剤を飲まされた。これはどうやら『敗血症』の始まりだったようである。もしあの時無理やり家に帰っていたら、間違いなくまたピーポーのお世話になるところだったのである。   つづく

489 エコおやじ救急車⑦悪あがき

タチウオ
  ER担当の医師は「この大きな『石』が尿道をふさいで炎症を起こし、発熱と痛みの原因になっています。腎臓の炎症は細菌が血管に入りやすいので、敗血症に注意しなければなりません。抗生剤の点滴を始めましょう。薬が合えばすぐに熱も下がり痛みも消えるはずです。『石』については明日泌尿器科の先生に聞いてください」とのことで病室へ。しかしその時点で座薬が効いたのか、痛みもなく熱も下がっている感じだったので、女房に「明日外来で診察してもらうので、今夜は帰して下さいと言ってこい」と言うと「もう手続きを済ませた。悪あがきを言わずにさっさと寝ろ」と言い残して帰ってしまった。私は「枕が変わっても眠れないのに、病院のベットなんかで眠れるわけがない。家で眠ったほうが早く治るはずだ…」などとブツブツ言いながら眠れぬ夜を過ごした。そして朝5時を迎えるのである。   つづく

488 エコおやじ救急車⑥緊急入院

アカマツカサ
  ピーポーで10分余り、大森病院のERに到着。「とにかく痛い!何とかして」と固く目を閉じ、ベットや枕をかきむしっていると、看護師が「痛み止を入れます」と座薬を押し込んでくれた。すると5分いや3分もしないうちに『ストン』と痛みが消えたのである。これは座薬の効果とは違うと感じながらも、とにかくもう痛くないので「痛みも消えたし、熱もあまりないみたいなので帰りたい」と言うと「救急車で来たからには、そんなに簡単に帰れないですよ。これから少なくとも採血・採尿とCTの検査はしなければ」と怒られた。血液や尿の結果が出る前にERの医師が「CTに大きな『石』が写っています。これが悪さをしているようなので、緊急入院ですね」と付き添ってきた女房が手続きに呼ばれたのである。  つづく

487 エコおやじ救急車⑤ピーポー

 イシガキフグ
 鈍痛は、それまでは急にレベルが上がり『ストン』と消えていたが、今回は30分以上過ぎても3~4のレベルが続く。女房には病院行きをすすめられたが「今日は日曜日だし、どうせまた『ストン』と消えるだろうから、病院は明日にする」とベットに潜り込む。しかしレベルは少しずつ上がり、19時前には6~7まで、もうすぐ8ぐらいまで上がったら『ストン』だろうと思って我慢していたが8~9に至っても『ストン』は訪れず、私はもがき苦しみ始めた。その状態が30分以上続いたのを見かねた女房が、ついに119番。ピーポーが聞こえても歩くことも出来ず、玄関まで這い出すのが精一杯。救急隊員が持ち込んだシートにくるまれ、階段を降ろされた。それはちょうど我々が、アカメなどの大型魚を運ぶのと同じスタイルだった。それにしても痛い!レベルは9~10。助けてー。   つづく

486 エコおやじ救急車④楽観

キハッソク
  「明日は日曜日だけど開いてる病院を探して行ってみる」と宣言してからそのまま少し眠ると、22時頃多量の発汗があり熱は37.5度まで下がっていた。鈍痛も消えていて、もしかしたら『石』は自然に流れ出たのかも、と期待して眠った。2日の朝、目覚めると熱も違和感もなく、これは病院ではなく出勤だろう。その日は特別な団体の予約が入っていて、私が切符売り場にいなかったら、手が足りなくて困るのは間違いないことがわかっていた。そして前日と違い“完治”を思わせるような体調で仕事を終えた。「やはり『石』は自然流出したとしか思えない」とニンマリしながら帰宅したのだが、夕食を前にまた違和感に続いて鈍痛が始まったのである。   つづく
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