106 ステンレスポンプ

 新築から4年(平成元年3月)ほどで、
マンポウ水槽用の循環ポンプが壊れた。
時間と予算に追われて、
一般用の鋳鉄製のものを使ったので、
海水には耐えられないことはわかっていた。
そこで今度はポンプ屋とも相談の上、
高価なステンレス製を設置した。
ところが3ヶ月ほどしたらそのポンプから
ポタポタと水が漏れ始めた。
最初はしみ出すような感じだったので、
結露だろうと思っていた。
106.jpg
しかし間もなく、
ケーシングの上部に小さな噴水が吹き上がった。
補償を求めると、ポンプ屋は熔接修理でごまかそうとした。
その後、2ヶ月ほどで別の所から噴水!
腹を立てて自分で修理することにした。
分解して、ケーシングとインペラを
プラスチック樹脂でコーティングしてみた。
これが大成功!
以後2年に1回分解、コーティングしなおして、
結局軸受けにヒビが入るまでの19年間、
このポンプのめんどうを見続けたのである。


2009年03月07日(土)桂浜水族館公式ホームページ掲載
スポンサーサイト

104 小便小僧作戦

 桂浜水族館には3本の海水取水井戸があり
それぞれ7,5KWの水中ポンプが座っている。
104.jpg

毎分1tもの海水を吸い上げているので、
冬場の大潮の干潮時には、
水位が下りすぎて、ポンプの大部分が露出してしまう。
水中ポンプは、まわりの水を冷却に利用しているので、
本体が露出してしまうと、
モーターの温度が上がりすぎて保護回路が働き、
自動停止する。
井戸がもう少し深ければいいのだが、
今さら望むべきもない。
そこで考えたのが小便小僧作戦である。
一番浅くして、
度々自動停止する井戸の給水パイプに小さな穴をあけ、
本体部分におしっこをかけるように細工してみた。
その結果、それまでより40cmほど水位が下っても、
自動停止をしなくなったのである。
しかしこの小便穴は、時々砂粒でつまってしまう欠陥があり、
手をやかせてくれる(昭和61年2月)


2009年02月21日(土)桂浜水族館公式ホームページ掲載

27 人命救助(成功)  2007年09月01日(土) 書

 翌日また「流された」とのこと。見ると沖で泳いでいる。「バカめ!」と思って引き返しかけると「『助けて』と云っている」とのこと。波は昨日の半分くらいしかないが、まだまだ大波だった。大波の浜に上陸するには、それなりの要領がいる。その高校生は危険を知らないらしく、岩場に上ろうとしているようだった。浮輪を持たせ、波が少しでも小さくなる深場をさがして移動し始めた時“新ちゃん”が来てくれた。この人は“桂浜の主”と云われる人でそれまでに10人ほど救助した経験があるとのこと。3人でサーフィンのように波の頭に乗って浜へすべり上った。その時「高谷君、わしも歳やから、これからはおまんに任せたよ」と云われた。(昭和53年8月16日)それから30年近くなるが、その間に小学生の男の子(平成4年8月)6才の女の子(平成7年5月28日)の救助に成功している。その私もこの先は、若い“O”にバトンを渡す時が来たと思っている。

26 人命救助(失敗)  2007年08月25日(土)書

 はるか沖合に大きい台風がいる時、桂浜には突然大波が襲い、観光客が流される事故が起こることがあった。その日、浜はお盆の帰省客でにぎわっていた。「女の子が波にさらわれた」との声に遊泳用の浮輪を持って走る。助けに入った人も流されたとのこと。女の子は見えなかったが浮いている人が見えた。波合いを見て泳ぎ出す。その人の所まで約50m。しかしすでに呼吸停止、口から泡を吹いていた。体に浮輪を通し、浜を振り返る。とても帰れそうにない。崩れながら迫る波頭をやり過すと深い谷に入る。見えるのはそそり立つ波の背と青い空。足の裏がむずむずして、生きた心地ではない。一緒にいるのは半死体、この場に来てしまったことを後悔する。台風の波は沖合500mまで行けば静かになることは知っていたので、自分を励ましながら沖へ。数時間にも感じたが、実際は30分余りで保安庁の船にひろわれた。しかしその人は助からず、女の子は数日後、遺体で収容された。(昭和53年8月15日)

25 ウキをつけた魚   2007年08月18日(土)書

 125日間の世界記録を更新したのは4年後のこと。このマンボウはバランスが悪く、泳ぎが不安定で、底に沈むと、起きあがれなくなるので、ウキをつけていた。入館10日目から130日目までの、飼育日数の大半は、円筒型の発泡スチロールを釣鉤で、背中に引っ掛けられて泳いでいた。背肉は1週間ほどで切れるので、少しづらせて引っ掛ける。しまいには、背中にミシンをかけたような傷がついた。ウキをつけたまま、125日の飼育記録更新の日を迎え、随分悩んだ。“こんな状態で飼育と云えるのか??”しかし“体も太っているし体長は10cm余り伸びている”との同僚の声に押されて、マスコミに発表。全国版のテレビにも出演した。結局166日まで伸ばしたが、その1ヵ月後鴨川シーワールドに追い抜かれ、飼育記録は、私の手の届かない所へ行ってしまう。(昭和53年7月)

 追伸 M.S.様 HAPPY BIRTHDAY TO YOU!!

24 命の水のアキレス腱  2007年08月11日(土)書

 地下浸透海水には、宿命的な欠陥がある。それは大雨!1日に100㎜余りまでの雨は平気だが200㎜を越えるような雨が降ると、地下浸透海水の濃度を下げてしまう。昭和51年9月。台風17号の大雨は、時間雨量90㎜を最高に1日量500㎜。6日間で1,300㎜余り。海水井戸を完全な真水に変えてしまった。魚類の80%が死亡、イルカも体がふやけてしまった。井戸水を諦め、堤防に仮設ポンプを置いて、ドロドロの海水を汲み上げ、イルカを助けるのが精一杯だった。もちろん半月余りの臨時休業を余儀なくされた。200年に1度と云われる大雨で、高知市には、非常事態宣言まで出されたので、記憶されてる方も多いと思う。あんな大雨は、二度とはあるまいが、200㎜を越す集中豪雨があると、塩分濃度に敏感な無脊椎動物は危機にさらされる。さらに300㎜以上になると魚類も心配になってくる。開放式で飼育している当館にとって、集中豪雨こそがアキレス腱なのである。

23 桂浜水族館の命  2007年08月04日(土) 書

 水族館で使用される海水は、普通、海岸に取水施設を作りポンプで吸い上げている。大波で設備が壊されたり、ニゴリが出たり、カキ等の生物が配管につまったりと、いろいろ問題がある。館によっては沖合数十kmまで出かけて、黒潮を汲んで来る所もある。桂浜では砂浜に井戸を掘り、地下浸透海水を汲み上げている。最も古い井戸は、昭和4年頃から現在まで、毎分1tの海水を吐き出し続けている。台風の大波にも濁らず、プランクトンどころか大腸菌まで濾過されて全くいない。夏は26℃・冬は16℃と安定した水温なので、土佐湾の魚の大部分はOK.この井戸水が“桂浜水族館の命”なのである。

22 高嶺の花  2007年07月29日(日)書

 高貴な女性、例えば、日本中の男性の憧れ、吉永小百合のスカートが目の前でヒラリとめくれたとしたら・・・。私は、室戸の沖で、これに匹敵するような体験をした。ある秋の午後、きれいに澄み渡った青空の下。大敷網の中を優雅に泳ぐ濃紺の魚。ユッタリと反転した時、チラリと見えた純白の腹面・・・。身震いがするような、その時の光景は、今でも鮮明に浮んでくる。以後、この魚を運搬・飼育する方法を繰り返し繰り返し、検討した。しかし、どうしても具体的な所まで進まない。私にとって、ヒメイトマキエイは、手の届かない高嶺の花。永遠の聖女なのである。(昭和50年秋)

21 ジムニー 2007年07月23日(月)書

 桂浜の砂浜を自由に走れる、ジムニーと云う軽トラックを買ってもらった。海砂を運ぶ作業に使ったので、サビてボロボロ。フロントガラスがヒビ割れたせいもあって1年余りで、廃車登録になってしまった。しかしそれからが、この車の本領発揮であった。台風が持ち込んだ砂を館内から運び出す作業に、どうしても必要な車だったのである。荷台が抜けたので、コンパネで作り直し。ボンネットが外れたのは、しばらくロープで止めていたが、トタン板で囲った。運転席は、板の上に発泡スチロールを置いた。ガソリンタンクの穴は、何度も接着剤で埋めたが、ついに諦めて一斗カンを助手席に置いてサイフォンでキャブレターへつないだ。きわめつけはエンジンスターター。プーリーを外し木製のドラムを取り付け、ロープをかけて、手動でエンジンを始動させるようにした。廃車から2年余り、台風10号(昭和45年)が持ち込んだ海砂をほぼ出し終えた頃、頑張り過ぎたエンジンが焼き付いた。タイヤとハンドル。車軸とエンジン以外は、エコおやじ(当時はお兄さん)が作った、木製の車になっていた。(昭和49年12月)

⑳釣られた飼育員 2007年07月15日(日)書

 若さに任せて、朝食は抜き昼はカレー夜はインスタントメンかパンで済ませる。大工に植木屋などの、重労働のあとに徹夜の釣り。かなり乱れた生活が続き、ある日ついにひどいヘルペスが、口の周りに出てしまった。見かねた下宿のおばさん(後の義母)が助け船を出してくれた。間借りの約束だったが「体を壊すから、これからは朝食を作ってあげます」。これが散き餌であったことに気付くのは、それから2年ほどあとのことになる。
 失恋から立ち直り、イルカやマンボウと出会って、飼育員としてやっていく自信が生まれはじめたころ、鉤のついた餌がぶらさがって来た。散き餌の効果もあって、私はためらわずに食いついてしまった。それが今の女房である。“親を見れば娘は見なくても大丈夫”と母が話していたことも参考にはなっている。(昭和29年11月16日)

追伸
 Mおやじは、61歳の誕生日(7月8日)の直前に、入院・手術を受けるはめになりました。UN HAPPY BIRTHDAYを病院のベッドの上で迎えました。そのため原稿が1週遅れてしまいましたが、本人は復活しましたので、履歴書はまだまだ続きます。
プロフィール

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
FC2ブログへようこそ!

かうんた
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR