
昭和49年2月22日朝6時50分に捕獲したマンボウ(私の2頭目)も、かなりのスレ(傷)があり、前回のと同様に、一週間から10日ほどの命と思えた。餌は強制的に口の中に押し込めば、食べるようになることは経験済みだった。しかしヒレや腹部に大きなスレがあり、ビランが広がっている。そのビランしたヒレをパタパタさせながらゆっくり泳ぐ。2週間が過ぎても相変わらず、ほんの少しのアサリを食べてパタリパタリ。スレも目立ってもう時間の問題と思われた。しかし25日が過ぎた頃、ちょっと元気が出てきたような感じがした。そして30日目のこと、棒の先のフックに引っかけたアサリを目の前に差し出すと、大きな目玉をギョロッと動かせて追っかけるそぶりを見せたのである。その日から急に餌の量もふえ、スレが治る気配を見せはじめた。そしてまたたく間にそのまでの飼育記録を更新し、新聞・テレビにも取りあげられた。大型の水族館が苦労しても48日間だったのに、私のマンボウは結局125日間と云ふ、当時としては奇跡的な大記録(⑱世界新記録)を打ち立てたのである。これが私のDNAが用意してくれたプレゼントだった。そしてそれから30年間にわたるマンボウとの格闘が始まり、私は“桂浜”から離れられなくなってしまったのである。
スポンサーサイト