435 台風と私⑫台風の雨(c)

マカジキ
  このときの雨は“200年に一度の大雨”といわれた。高知市の中央を流れる鏡川が満水になり、南岸の堤防を越え始めた。高知市の坂本市長(当時)は“堤防が切れた”との報告を受けて「各自の命は自分で守って下さい」と“非常事態宣言”を出したのは有名な話である。幸い越流したのは神社の境内の杉林で、決壊の恐れのない所だった。しかし我が家はその場所から200mほどしか離れておらず、女房は7ヶ月のおなか(次男)をかかえ、長男(2歳)をおんぶして、膝下の深さの流れの中を近くの小学校まで避難したとのこと。私は家族がそんな状態にあることも知らず、魚類とイルカのための水対策に追い回されていたのである。
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434 台風と私⑪台風の雨(b)

バショウカジキ2
  昭和51年の台風17号は、種子島の沖に三日間も居座り、その間高知県に雨を降らせ続けた。最終的には四日間で1300mm・最大一日量500mm・最大時間雨量97mmの豪雨だった。水族館の取水井戸は完全な真水になり、私は館長の指示で食塩を買いに走った。1t積みのトラックに3tの食塩を積み込み、フラフラしながら四往復。水槽に投入しつづけた記憶が今もはっきり残っている。しかしそれでも生き残ったのは、淡水に強いチヌやボラなど、ごく一部の魚だけだった。そして食塩を入れる余裕のなかったプールのイルカ達は、肌がふやけてボソボソになっていた。何とか助けられないか考えたあげく、100m余り先の突堤にエンジンポンプを置いて、大波の打ちつけるドロドロの海水を汲み上げて、ギリギリのところで助けることが出来たのである。(続く)

433 台風と私⑩台風の雨(a)

メカジキ
  台風で一番恐いのは、強い風ではなく大波でもない。台風といえば“雨”なのである。多くの場合、台風の本体が遠く離れて通過しても、前線の影響などで大雨は避けられない。そして桂浜水族館にとっては、その“大雨”が大敵なのである。当館は桂浜に井戸を掘り、浸透海水を汲み上げて、主に開放式(かけ流し)で飼育している(23桂浜の命)。大雨はその井戸に侵入して海水の濃度を下げてしまうのである(24命の水のアキレス腱)。100mmぐらいまでの雨なら平気だが、200mmになると濃度は大きく下がる。まずタコがフラフラになり、次に貝類やエビ・カニが弱ってくる。魚類は四分の一濃度ぐらいまでは耐えられるが、300mm以上の雨になると、その限界を超えてしまうのである。(続く)

432 台風と私⑨台風の波

クロマグロ
  旧水族館は海抜5mほどの砂浜に建っていたので、台風の波は非常に恐かった。大潮の満潮と旧盆(年間で潮位が最も高い頃(太陰暦7月15日))が重なるときに台風が上陸すると、高潮に乗って信じられないほどの大波が襲ってくる。それが昭和45年の10号台風だった。本館の大池(中央水槽)の上、1mほどの深さになるほどの波だったとのこと。昭和59年3月の移転新築では、旧館より2mほど高い所に移ったので10号と同じ程度の波ならば大丈夫のはずだが、一つ心配な事が持ち上がっている。それは橋本大二郎前知事が手がけた、高知外洋港。桂浜沖に1.5kmの巨大な防波堤が作られた事である。私見ではあるが、この堤防からの反射波(212桂浜百景⑫大波の反射)が、桂浜に打ち寄せる波を増大させるのはまちがいない。10号の波に反射波がプラスされることを考えると、油断はできないのである。

431 台風と私⑧波見物

キハダマグロ
  台風の波は、中心部の上昇気流(気圧低下)による、吸い上げとその反動による“同心円状の波”と、吹き込む風が作る風浪が重なった、二重構造になっている。はるか沖合いで発生した、大きな(強風圏の広い)台風が北上し、北緯20度ラインを越える頃になると、その波が土佐湾まで届くようになる。しかし台風本体が近づくのは4・5日以上先のことなので、しばらくは“波見物(213~215桂浜百景 台風の波見物)”が楽しめる。風浪の部分は長距離の移動のうちに“うねり”の状態になっていて、波長は12~15秒くらいなのにたいして、そのうねりを乗せた台風の中心が作った同心円状の波の波長は不安定で、多くの場合は3~5分だが中には15~30分、時には一時間に一回のこともある。これが“大波千一回”のたとえになっていると思う。だから波(中心が作った)の上に乗った波がやってくるので数分間に数回の大波になり、二つとして同じものはない。砂浜に繰り返し駆け上がる大波をながめていると心がいやされる。“次はどんな大波が…”と見飽きることはないのである。

430 台風と私⑦飛砂

メバチマグロ
  風の強い台風の時には、屋根瓦が飛び大木が折れたりする。桂浜ではその他に“飛砂”がある。桂浜の砂は玉砂利の他は5~10mmくらいの砂が主だが、それより粒の細かい砂も混じっている。風速25m以上になると、5mm以下の砂が吹き飛ばされてくるようになる。旧水族館時代には屋根の上に3~5cmほど積もり、それを降ろすのに三日ほどかかったこともあった。また多分その台風の時のことと思うが、砂粒が当たってペンキが剥がれ、フロントガラスも真っ白に傷ついていた工事用トラックを見たこともあった。このような風の強い台風の時には、雨合羽での巡回は無理があるので、潜水用のウエットスーツでヘルメットに水中メガネをかけた。それでも風の方向を向くと、メガネからはずれたあごやおでこに当たる砂が痛かった。しかし桂浜ではここ20年ほど、こんな強風の台風にはお目にかかっていない。

429 台風と私⑥台風の風

ビンナガマグロ
  北半球では低気圧の風は、反時計回り。熱帯低気圧である台風も例外ではない。中心部の上昇気流に引かれて流れ込む風が、地球の自転による“コリオリの力”と流体力学の法則にしたがって左巻きの渦になる。そしてその風は台風本体の進行方向とからみ、中心の右側で特に強くなる。ここまでは中学生の頃までに、父から教わっていた。桂浜は東側に開けた浜で後ろは山なので、西と北の風は全く当たらない。台風が沖縄方面から室戸岬を目指して近づくと、まず東風が吹きつけ始める。だんだん北東に変わり、中心が東経133度33分(桂浜の真南)を過ぎた瞬間北風に変わり、台風は終わり。しかしだんだん南東風に角度が変わる台風は、テレビの予報を見るまでもなく、恐ろしい台風である。そのような台風は、先週書いた10号台風のように足摺岬をうかがう、桂浜にとって最悪のコース。中心の右側の最も強い風を長時間受け続けることになるのである。

428 台風と私⑤台風10号

イソマグロ
  高知市で“台風”と云えば室戸台風や第二室戸ではなく、昭和45年8月21日の台風10号のことを指す。この台風は桂浜水族館はもちろんのこと、高知市に壊滅的な被害を与えた。上陸時の勢力は、室戸台風の911hpや第二室との925hpにははるかに及ばない(955hp)が、高知市にとっては最悪のコースだったのである。しかも大潮の満潮時と重なったため、強風・大雨に加えて異常な高潮が発生し、市内の三分の一近くが浸水した。水族館では売店が波に洗われて大破し、海亀も波に乗って逃げ出したらしい。私は昭和40年(高知大学入学)から高知市の住民だが、運命のイタズラ(339桂浜への道⑪台風10号)か、昭和45年だけは大阪に住んでいて、この台風を経験していないのである。

427 台風と私④第二室戸

ハガツオ2
  昭和36年9月。“室戸台風”をしのぐほどの強力な台風が、よく似たコースをたどっているとの事で、鳴門市はどこも厳戒態勢だったが、我が家は例によって時化囲いもせずにノンビリ構えていた。本体が近づくと、風はそれまでに経験したことがない強さで、波シブキはお地蔵さんの上に見事にはねあがった。昼前に台風の中心が通ったらしく、風がぴったり止んだ。そして次の瞬間足が震えた。目の前の堤防の上を海水が゜20~30cmほど乗り越えて、流れ込んできたのである。30秒ほどの間、滝のように塩田に流れ込むのを3回くりかえした。父は「山へ逃げるぞ」と指示したが、なんとかそのままおさまった。この台風で我が家は無事だったが、鳴門市高島の中心集落は、吹き返しの風に堤防が各所で決壊し、壊滅的被害をうけた。後にこの台風は“第二室戸台風”と名づけられたのである。

426 台風と私③台風見物

スマ(ヤイト)
  生家は、小鳴門海峡に突き出した高島渡船場の、桟橋のたもとの防波堤から塩田をはさんで50mほど離れた所にあった。台風の波は、堤防の角に打ちかけ、お地蔵さんの上に飛び散った。我が家は平屋だが、両隣は二階建てで後ろは山。前の道路は東西に伸びているので、台風の強い東風はほとんど当たらない。台風が来ると学校はお休み。窓から50メートル先の波しぶきをながめて、楽しむことが出来たのである。兄達と波をながめながら、父から台風の話を聞かされた。父は“昭和九年(室戸台風)”をくりかえした。50m先の堤防が切れ、床下まで波が打ち込んだ話を聞きながら、私は台風に関する知識を吸収したのである。

425 台風と私②ジェーン台風

ヒラソウダ
  もう一つ幼児期に台風に関する恐怖の記憶が残っている。すぐ近所の散宿所(電力会社の出張所(109感電①初体験))の裏手に、子供達が遊び場にしていた、お旅所(御みこしに乗った御神体の休憩所)があった。兄達や近所の子供数人で“あぶき”見物をしていた時のこと。「ここは危ないよ」と大人達に言われていたのを無視していたら、突然巨大なあぶきに襲われた。兄達は1m余りのお旅所の上に上がったが、私は自力で上がれず流されそうになって「あっちへつかまれ」の声に散宿所の黒い木の柵につかまった。水位は私の腰のあたりまできたが、兄達の「はなすなよー」の声にはげまされて、水が引くまで必死で頑張った記憶がはっきりと残っている。後で調べたのだが、これは昭和25年9月3日のお昼頃、鳴門市の沖合いを北上して行ったジェーン台風で、私が4歳の時の記憶とわかったのである。

424 台風と私①あぶき

マルソウダ(メヂカ)
  台風に関しての私の最初の記憶は“あぶき遊び”である。あぶきは台風の中心部の強い上昇気流によるポンピングで吸い上げられた海水が、波の山となって遠くまで到達する“うねり”のことである。大きな台風の接近が大潮の満潮時と重なった時など、ごくたまに排水路への海水の逆流が起こることがあった。生家は海から三軒目、家の前には巾30cm深さ40cmほどの排水路があった。逆流は五軒目のミーチャン(314鳥カゴより⑬ミーチャン)の家を過ぎて50m以上登って行くこともあった。普段は家庭からの廃水がチョロチョロ流れ、イトミミズが繁殖するドブなのだが“あぶき”が来ると小さなハゼやフグが入ってくることもあり、玉網で追っかけた60年以上前の記憶が、はっきり残っているのである。

423 台風と私(序)

カツオ2
 桂浜は“台風銀座”の異名を持つ室戸岬から、西へ80kmほどしか離れていない。そして旧桂浜水族館は海抜5mほどの砂浜に建っていたので、台風には神経を尖らせる必要があった。私は隣県の徳島県鳴門市の出身だが、父が登山を趣味にしていた関係で、天気図や台風について多くを学んだ。その父は私が18歳の夏、東京オリンピックを見ることなく他界したが、それまでに口癖だった“昭和九年(室戸台風)”や伊勢湾台風・第二室戸などの巨大台風を通して台風についてのノウハウを伝授してくれた。私は登山の趣味は持たなかったが、台風に関する知識は桂浜水族館の仕事に非常に役に立った。今回はそんな“台風”について書いてみたいと思う。
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