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655 母親介護⑩妖怪ババア

お母さま
  102歳はまだまだ元気!。月曜日は歌声グループに。火曜・金曜には体操(介護リハビリ体操)。水曜日はパソコン教室で自作の短歌にネット上の映像をダウンロードして合成プリント、冊子にまとめている。耳がかなり遠く、杖や歩行補助機を使ってはいるが、食事は冷蔵庫の中を覗いて勝手に調理。介護に来たはずの私の分まで心配する。ほぼ自立といってもいい。46歳で夫を無くし、その時点で大学生の長男(22歳)と次男(20歳)。高校生の私(18歳)と弟(16歳)。中学生の妹(14歳)をかかえて随分苦労したはずであるが、それから半世紀以上。今は月や星を見上げて一句。セミやカマキリを見つけて子供のように追っかけている、まだまだ元気な妖怪ババアなのである。 
  追伸 次週からは、またお魚の話に戻ります。
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654 母親介護⑨浦島太郎

タコのタコ釣り
   母親介護といっても、非常時にそなえての見守りだけなので、私には自由な時間がいっぱい。そこで18歳まで育ったこの町をぐるぐるまわる。ここ、鳴門市鳴門町高島は塩田の島だったが、塩田は全て埋め立てられて住宅地に変わり、見慣れた風景はなく人々も見知らぬ顔ばかり。私は浦島太郎を実感。子供の頃走り回った裏山は、ササや雑木が生い茂り、登り道も消滅。半世紀の時間を実感。私を見捨てなかったのはやはり海!。車に積みっぱなしだった釣りざおを引っ張り出して、遠い昔に通いなれた桟橋から糸をたらす。タコ・アジ・メバル等を釣り上げて55年前の私に戻ることができたのである。    

653 母親介護⑧お休みラジオ

母親のラジオ
  この介護通勤で一番困ったのが、母の“お休みラジオ”である。母のはもう何十年もNHKのラジオ深夜便を聞きながら眠るのが習慣になっている。耳がかなり遠いため、枕元で大音量のラジオかけて眠る。その音は隣室でドア(引き戸)を閉めていても漏れてくる。当初は全く眠れない夜も続いたが、少しずつ慣れてきた。しかし母は早寝(8時頃)早起きで、朝5時には起きて自分の部屋の戸を開けるので、その時のラジオに起こされてしまう。だからこちらにくると母のペースに合わせて朝5時に起きる。半年ほどかかったが“こちらではこちらのペース”がつかめるようになってきたのである。

652 母親介護⑦骨折

圧迫骨折
  5月半ばのこと。突然「足が痛い!歩けん」と言い出した。20年以上前に股関節を人工関節に入れ替える手術を受けていたので、そこが痛んでいると考えて整形外科へ。レントゲンを見た先生は「人工関節は綺麗ですね。これは脊椎の方が怪しいかな」とレントゲンの撮り直し。「脊椎に圧迫骨折があります。普通は手術ですが、この歳の人には…。痛み止めで様子をみましょう」と先生。母は薬がよく効いて歩行補助機があれば歩けるようになった。3カ月ごとに整形を受信していたが11月の受信で「脊椎は癒着しています。痛みやしびれがなければ完治といえます」と先生。なんと102歳の母は6カ月で骨折を克服したのである。

651 母親介護⑥バラ園

母とバラ

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  11月7日のお昼のニュースで「藍住のバラ園が見ごろ」の話題が流れるのを見ていた母が「父ちゃん(半世紀以上前に死別した夫)はバラが好きだった」と、そして「先週は研ちゃん(名古屋の兄)がコスモス畑に連れてってくれた」と私を見る。藍住町までは車で30分ほど「今から行ってみるか」と言うと嬉しそうな顔になる。しかしバラ園を一巡りするには102歳の足はおぼつかない。たまたま車椅子が借りられて、写真も撮って大いに満足。帰りの車に乗ると、短歌ノートに「車椅子でバラ園巡る102歳」と書き込んだ。私はその時の写真を「藍住バラフォトコンテスト」に「102歳の微笑」と題してこっそり出品してみたのである。スマホカメラだったので半分ジョークのつもり。ところがこれが佳作【あいのすけ賞】に入選!。こんなことなら車に積んであった一眼レフで撮っておくのだったと後悔したものである。

650 母親介護⑤輸血

輸血川柳
  本年10月のこと、兄から「入院させた」とのメール。食欲がなくなりしんどそうだったので、かかりつけの病院(お隣)を勧めると「嫌だ、めんどうだ」と駄々をこねる。無理やり連れて行くと「これは緊急入院でしょう」と、ピーポーに運ばれて入院できる病院へ。症状は極度の貧血「102歳でこんな貧血なのに意識がしっかりしている」と医師。「便が黒い」との母の証言で内視鏡検査。「大きな胃潰瘍があって、なかりの出血があります。貧血はそのためでしょう」と輸血と薬物治療が始まった。輸血は生まれて初めてとのことで「輸血とはこんなものかと102歳」と自身の短歌ノートにメモ書き。輸血を始めるとみるみる元気になり、私が兄との交代で病院へ行った頃には「家に帰りたい」を連発し始めていたのである

649 母親介護④逆介護

介護代わり
  今年8月のことである。その数日前からノドの奥に違和感はあったが、たいしたことはないと思い、予定どおり4日の夕方鳴門へ向かう。走るにつけ咳が少しづつひどくなり、5日の朝にはたまらずにお隣の内科を受診「気管支炎かな?でも熱も無いし肺の音もきれいだからすぐに治るでしょう」と抗生剤と咳止めを処方された。ところがそのすぐあと発熱!。38度を越して2日間寝込んでしまったのである。心配した母が、歩行機を押しながら部屋に入って来て「生きてるか?お粥作ったから…」と。介護に来たはずの私は、102歳の母に介護されてしまったのである。

648 母親介護③通院

母と病院へ
  7月1日の朝「今日は病院の日」と言う。診療所は駐車場を挟んで20m。10時頃、杖をついた母の手を引いて歩いて行くと「今日はかなり混み合っているから1時間半ほどしてから…」と顔なじみらしい看護婦さん。車椅子を借りて一旦連れて帰る。昔の診療所は200mほど離れた所にあったが、10年余り前に実家の隣に移転新築された。医師は私が4歳の頃ペニシリン注射で破傷風から救ってくれた先生(539エコおやじの病歴①破傷風)の孫。型どうりに血圧を計り聴診器をあてて「いつもどうりの血圧と血糖値を下げる薬です。102歳になりましたね(大正6年6月10日生まれ)まだまだ大丈夫です」で終了。介護人の私は車椅子を押すだけだったのである。

647 母親介護②介護道中

夕焼けの道路
 鳴門市まで高速を使うと2時間半ほど。私は土日祝日の仕事が決まっているので、日曜日に仕事を済ませてから高知を出発。帰りは金曜日に母が夕食を食べるのを確認してから鳴門発。五泊五日の介護通勤が始まった。しかし高速料金の片道3300円は先々かなりの負担になると考え、二回目からは国道を走ることにした。夕方遅めに出発すれば渋滞にかからないので4時間足らずで走れる。そして特別なメリットが。私の車はスズキのハスラー。軽四なので高速には弱く、燃費はリッター20km程度だったが、国道を走るとなんと28km以上走ってくれることがわかったのである。名古屋の兄のボルボは長距離でも9kmしか走らないので問題外。宮崎の兄のプリウスにも負けていないと思う。鳴門まで170キロあまりだが、片道900円ほどしかかからない。ハスラーバンザイである。

646 母親介護①介護分担

高谷一家会議
  私の実家(鳴門市)には現在102歳になる母がいる。今年の春までは、近所に住む弟が買い物などの手伝いをするだけで一人暮をしていたが、風邪をこじらせて一ヶ月ほど入院。それと同時に弟が体調を崩し、退院後は残りの三兄弟で交代の見守り介護をすることになった。長兄は宮崎県、次兄は名古屋、三男の私は高知。「お前が一番近い」と言われたが「オレはまだ仕事。年金が少ないのもあるけど後継者が育っていないからと、会社がやめさせてくれない」などと話し合って、私の受け持ちは[月二回、5日間づつ]で鳴門市まで介護通勤することになったのである。
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