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760 母、104歳⑳“ありがとう”

エコおやじからお母さまへ
  大正6年6月10日生まれなので、104歳と5ヶ月と10日。夫に先立たれたのは45歳の時。当時は14歳(長女)の中学生・16歳と18歳(私)の高校生・20歳と22歳の大学生をかかえて苦しい経済状態の中での子育てだった。子供たちが巣立ってからは半世紀に至る一人暮らしを謳歌。俳句・旅行・写真・習字・日舞・太極拳からパソコンまで。「知識は人生を楽しくしてくれる」と読書も欠かさなかった。そんな母の生涯を祝福したいと思う。そして母には「私を産んでくれてありがとう」の言葉を送りたいと思うのである。

  追伸
 尚、今回をもって“エコおやじの履歴書”のブログは終了となります。桂浜水族館の旧ホームページでスタートしてから15年が過ぎ、さすがにネタも尽き果てエコおやじも疲れ果てました。愛読頂いた“数人”の皆様に「ありがとう」と感謝しつつ、筆を置きたい思います。
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759 母、104歳⑲訃報

眠るお母さま
  私の見る限り、命の灯火はあと数日。しかし入院させたのであと一ヶ月??。でも年越しはありえない。などと思いつつ“面会は今日で最後だろう…”と重い足取りで高知に帰って来た。訃報が届いたのは意外に早く、その翌日のことだった。胃に食いついているはずの癌は暴れることなく“痛い・苦しい”も言わず、兄夫婦に看取られて眠るような最後だったとのことだった。

758 母、104歳⑱水疱

お母さまとプリン
  11月16日鳴門へ。ベッドの母に「母ちゃんプリン持って来たよ」と声をかけたが反応はなし。義姉が大きな声で「まあちゃんがプリン持って…」と言うと表情が少し変わって何か言いかけた感じ。足は“むくみ”ではなく“水疱”の状態。手を握るとふんわりとした感じで、水が溜まっているのがわかった。ちょうどかかりつけ医が来てくれて「もう入院させましょう」と手続きを進めてくれたのである。

757 母、104歳⑰腎機能

足のむくみ
  しかしその後、やはり身体の衰えは急速に進み“水分の排出が悪くなってる”とのメール。102歳の頃から足のむくみは見られたが、今回は“むくみ”ではなく“水が溜まる”感じとのこと。これは腎機能が失われつつあることを示していると思う。医師は「水分の排出はカリウムが関係しているので、薬を追加してみましょう」と言っているらしいが、もう“限界”が近づいてきたことを感じずにはいられなかったのである。

756 母、104歳⑯復活

かえって来たお母さま
  肺炎での入院なので、いつ訃報が来るかとヒヤヒヤしながら待つこと約一ヶ月。九月末に“明日退院”とのメールが、これには驚いた。義姉は「入院前より元気になってるよ」と言う。早速鳴門へ行ってみると、足は立たないが手はよく動き、テーブルクロスを敷きなおし「あれが食べたい…」などと、言葉もしっかりしていたのである。

755 母、104歳⑮肺炎

せきとふるえ
  昨年9月のこと。食事中に急に咳き込み、手の震えが止まらなくなったので往診を頼んだ。かかりつけ医は「多分誤嚥性肺炎肺炎でしょう。緊急入院ですね」と救急車を手配してくれた。年寄りの肺炎は命取りと聞いているので、すぐにも見舞いに行きたかったが「コロナの第五波で面会は不能」と言われた。104歳と3ヶ月、もう復活はないだろうと覚悟を決めたのであった。

754 母、104歳⑭視力?聴力?

親子
  コロナの予防注射を済ませて、鳴門へ行ってみたのは8月半ばの頃。朝ごはんが終わったところで、まだテーブルにいた。「母ちゃん」と声をかけると、首を少しこちらに振って、しかし目は開けず「まあちゃん」と小さく答えた。目は元々開いているのか閉じているのか分からないくらい、細くて小さい。その目ではっきり私を見てくれたのだろうと思ったが、反応が早かったことを考えると、もしかしたら声で判断したのかもしれない。しかしどちらでもいい、私は104歳と2か月の母にはっきり認識されていたのである。

753 母、104歳⑨アサガオ

朝顔
  2020年4月のこと、私の見守り介護が終わる直前に「まあちゃんアサガオ植えて」と言い出した。花屋で種を買い植木鉢にまいて、母と同居することになった兄夫婦に託したのが数本育った。103歳の初夏、雨に打たれながら蔓を伸ばす様を見て“雨と風 アサガオブランコ して遊ぶ”と、小学生並みの感性で作った句が、母の俳句ノートの最後の作品になった。104歳の夏もその種から自然発芽して花をつけた。窓越しにそちらを見ている母に、嫁(義姉)が「まあちゃんのアサガオが咲いたね」と声をかけたが反応はなし。見ているのか眠っているのかはわからない、とのことだった。

752 母、104歳⑬友人

藤原さんとお母さま
  104歳になってまもなくの頃、突然女学校の同級生と名乗る人が、孫に連れられて訪ねてきた。しかしその日、母はケアセンターでお泊まりだった。翌日帰って来た時「藤原さんと云う人が来たよ」と言ったら「そんな人は知らん」と言う。そこで嫁(義姉)が「私はだれ?」と聞くと「のぶちゃん」。「研ちゃんはどこ?」「名古屋」。「まあちゃんは?」「高知におる」とスラスラ答える。もし顔を合わせていたら、確実に思い出したいただろうと思えて、残念でならなかったのである。

751 母、104歳⑫フフフ

微笑むお母さま
  脳の衰えもかなり進行。30分ほど前にプリンを持って来てくれて一緒に食べた姪の話をすると、姪のこともプリンのことも「わせた(忘れた)」と真顔で言う。しかし食事のあと、唇に食べかすが着いていたので「口の周りを拭かんとネズミがかじりにくるよ」と言うと「フフフ」と笑う。自分でタオルで拭いて「もう寝る」と言うので「食べてすぐ寝ると牛になるよ」と言うと「フフフ」と笑う。こちらは理解しているようなのである。

750 母、104歳⑪4歳??

拒否るお母さま
  食べて眠るだけの日々と思っていたら、時たま何が気に入らないのか「食べたあない」と言い出すことも。「食べんと寝れんよ」と嫁(義姉)が言うと「ほな寝えへん」と怒り出す。「ほんなこと言いよったら、もうご飯作らんよ」すると「ちょっとだけ食べるけん」とスプーンを持つ。“104歳”ではなく“4歳”の子供との会話のように思えたのである。

749 母、104歳⑩日課

ご飯と昼寝
  衰えは大きく波うちながら、確実に進行してゆく。昨日はスプーンで自力で食べられなかったのに、次の日は目の前のものを次々と平らげて嫁(義姉)をおどろかせる。時には「もっとつか(もっとよこせ)」と言うことも。おしっこやうんこも告げることもあれば全く言わない日も。そして日課は“食べること”とソファーか車椅子で“眠ること”だけの日々が続くのである。

748 母、104歳⑧104歳の体調

70脳のお母さま
  足が弱り立ち上がることは不能で、夜はベッドだが昼間は車椅子で食事、ソファーで眠る。耳は90代の頃から弱り始めたが、今も全く聞こえなくなってはいないよう。目は開いているかいないわからないほどちいさく細い目(先々週の写真)だが、テーブルの上の食事をスプーンで食べるので見えているはず。問題は脳の機能だが、かかりつけ医がお世辞も込めていると思うが「先日のCT図を見てびっくり。脳は70代ですね」とのこと。ただし記憶をつかさどる“海馬”はかなり壊れているようで、5分前のことはもう記憶に残らないようなのである。

747 母、104歳⑦104歳の誕生日

お母さまバースデー2
  本年6月10日は母の104歳の誕生日。私は母の食べられそうなプリンを買って鳴門へ向かった。実家に着くと姪が二人“お誕生ケーキ”を持って来て食べ終わったところだった。嫁(義姉)が私にもそのケーキを出してきたのを見た母は「うちにもつか(私にもちょうだい)」と。「今食べたやん(義姉はいまだに伊予弁が残っている)」と言う嫁に「うちは食べとらん」と言い張る。仕方なく小片を出さねばならない。姪たちは苦笑するばかり。

746 母、104歳⑥介護施設

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  100歳の頃からすでに紙パンツを使用していたとのことだったが、足が弱ってしまった103歳の後期からは、トイレが間に合わなくなることが多くなると共に、後始末も自力では出来ないことが度々起こるようになってきた。ケアマネージャーに相談すると「自宅での介護はもう限界を越えてますね。施設でのケアを考えましょう」とのことで一泊二日から始めることになった。102歳の時には頑強に拒否したが、今回はすんなりとスタートしたとのことだった(104歳まであと1ヶ月の頃)。

745 母、104歳⑤ベッド

落ち布団お母さま
  足が弱り、布団からの立ち上がりが難しくなってきて介護ベッドが導入された。ベッドの高さがあると、そのまま歩行器へ移れるので、夜中にも自分でトイレに行けるようになった。しかし元々寝相の悪い人。当初は慣れないベッドから落ちて、度々隣室の介護者(長男)の呼び鈴が鳴ったとのことだった(104歳まで後2ヶ月ほど前の頃)。

744 母、104歳④歩行器

マッサージ
  外出(ネトレン)時は杖、室内では歩行器を使っていたが、ステントを入れる入院(20日間)の後からは足が弱るペースが早まった。「痛いから歩けん」とゴネる母を嫁(義姉)が「歩きよらんと歩けんなるけん頑張ろ…」と励ますが「もう歩けんでもええ」と拗ねる。嫁は足のマッサージとストレッチ。母は「イタタタタ…」嫁は「これでトイレまで行ってみて」と手を添えて歩かせる。104歳まで後3ヶ月ほどの頃のことである。

743 母、104歳③食事

同じなのに同じでない
  食事係は大変である。食欲があって何でも食べたかるが、ステントの関係で肉も野菜も小さく刻んでおかねばならず、魚は骨をきれいに取り除かねばならない。そして何よりも要注意なのが“見せない”ことである。食卓に自分の前と違う物があると、目ざとく見つけて「ほれつか(阿波弁で“それ、ちょうだい”)」が出る。慌てて隠したりすると「うち(私)には食べさせてくれんのか」と怒りだすのである。

742 母、104歳②食欲

空腹のお母さま
  “人間、食欲がなくなればお終い”などと言われることもあるが、母の食欲はなかなかのものである。ネトレンで三時のおやつを食べてから帰るはずなのに、帰るなり「何ぞ食べさせて」と言う。「もうすぐ晩御飯やから…」と言っても聞かない。歩行器を押して冷蔵庫を開けにゆく。しかし胃にステントが入っている関係で、何でも食べさせるわけにはゆかない。嫁(義姉)は先回りして、少しだけ食べさせられるおやつを用意しておかねばならないのである。

741 母、104歳①本格介護

長男ご夫婦とお母さま
  昨年秋、胃の幽門部にステントを入れて復活はしたものの、20日間の入院で急速に体力は失われた。パソコン教室には行けなくなり、外出はネトレンだけになった。食事もお粥などの流動食。おしめへのお漏らしも多くなり、風呂へも自力では入れなくなった。長男夫婦の、本格的な介護生活が始まったのである。  
プロフィール     ロリコンのおじん

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
桂浜水族館を縁の下から支えて半世紀。

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