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124 アラカルト⑯星空ナビⓑ

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  “ふたごの星”の記憶は私の中に潜在していたようで、小学生のころから宇宙や星空に興味を持っていた。父親の星座図を何度も持ち出して、ついにはバラバラにしておこられた記憶が残っている。高校生の頃、彼女(古い友人)とのデートの時、星空を見上げてうろおぼえのアンドロメダの神話を聞かせて、いいムードになったことを記憶している。そのころに“星空ナビ”があったらもっと彼女の心をつかめて、私の人生は変わっていたかも・・・。結婚前の女房とのデートの時、お魚やイルカの話をしていてアクビをされた時、ギリシャ神話の星座の話で時間をつないだこともあった。女性は星空のロマンチックなお話に弱いのは間違いない。若い男性(我が家の息子共を含めて)に、デートの前の下準備の最適アイテムとして“星空ナビ”を是非におすすめしたい。

  我が家の息子に“星空ナビ”を薦めたが、息子はその前の段階(彼女を作る)まで進まず、星空ナビはホコリをかぶっている。
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123 アラカルト⑮星空ナビⓐ

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  古い友人から任天堂DS用の“星空ナビ”と云ふ楽しいソフトをもらった。方位センサーが内蔵されていて、目の前の星空をそのまま解説してくれる。これを使って遊んでいるうちに、遠い昔の記憶がよみがえってきた。宮沢賢治の“ふたごの星”のお話である。現在93歳になる母親に、記憶があるか聞いてみると「あれはお前が3歳の頃、赤ん坊(私の妹)にお乳を吸わせながら毎晩のように読み聞かせた。お前は『あいつはナマコになります』を聞くまで眠ってくれないので困った。途中をとばしたこともあったのをはっきりと覚えている」とのこと。もしかして私の原点はこの“ふたごの星”だったのかも知れない。海に落ちた星がヒトデになり、ナマコになったホーキボシの幼い記憶が私を水族館の飼育員へと導いていったのにちがいない。“星空ナビ”は60年も前の記憶を呼びおこしてくれたすぐれものだったのである。
  
  その母は104歳まで頑張ったが、力尽きて星空へ旅立った。私は今も、ヒトデやナマコ・お魚達と離れられず、時たま星空を見あげる。

121 アラカルト⑬感電ⓑ館長

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  旧水族館の電気設備は、ほとんど館長が自己流で管理していた。今では信じられないような配線が各所にあり「電気だけでは勝手にさわられん」と言われていた。しかし電球の取替まで“館長に聞いてから”では話にならないと思い、自分でやっていたら不思議なことが起った。60Wの電球が切れ予備品がなかったので、とりあえず40W球を入れてみた。すると並んでいる60W球より40W球のほうが明るくなったのである。「200Ⅴの配線に直列につないである」との館長の説明を聞くまでは、理解することが出来なかった。そんな電気に詳しいはずの館長は、信じられないくらい“ビリビリ”に弱かった。漏電がうたがわれそうな時は、必ず私を呼び、ニヤニヤしながら指示をする。たいていはほんの少しの“ビリビリ”しか感じない程度だったが、ある時「濾過槽にドライバーを落とした」と云われて、何も考えずに手を入れて飛び上った。館長は「やっぱりきたか」と大笑い!。私は死ぬかと思ったほどだったのに(昭和48年夏)。

  この時たまたまビーチサンダルだったのが、ビリビリのショックを大きくしたと当時の日記に残っている。以来半世紀、仕事中は出来るだけゴム長靴を履くように心がけているのである。

120 アラカルト⑫感電ⓐ初体験

シビレエイ
  電気が“ビリビリ”くることを実体験したのは小学1年生になって間もなくの頃であった。生家のすぐ近くに散宿所(電力会社の出張所)があり、同級生がいたのでよく遊びに行っていた。そこのおやじさんが「絶対にマネするな」と言いながら見せてくれたことを今でもはっきり覚えている。ソケットから電球を抜き取りその中へ指を入れて「ほら、ビリビリきてる!ここ、ここ」と、自分の指の甲を我々にさわらせた。その“ビリビリ”がおやじさんの体で弱められていることを理解出来てなかった私は、家に帰ってすぐに弟にやって見せようとしたのである。ソケットの中に指を入れた瞬間に跳び上がった。おやじさんの指から感じた数十倍、いや数百倍の“ビリビリ”に腰をぬかせてしまったのであった(昭和28年5月頃)。半世紀以上も前の事件だが、腕をモギ取られたような感覚は、今でもはっきり思い出すことが出来る。

  子供に【絶対マネするな】の警告は“警告としては無意味”と私は今も思っている。

119 アラカルト⑪ステンレスポンプ

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  新築から4年(平成元年3月)ほどで、マンポウ水槽用の循環ポンプが壊れた。時間と予算に追われて一般用の鋳鉄製のものを使ったので、海水には耐えられないことはわかっていた。そこで今度はポンプ屋とも相談の上、高価なステンレス製を設置した。ところが3ヶ月ほどしたらそのポンプからポタポタと水が漏れ始めた。最初はしみ出すような感じだったので、結露だろうと思っていた。しかし間もなくケーシングの上部に小さな噴水が吹き上がった。補償を求めるとポンプ屋は熔接修理でごまかそうとした。その後、2ヶ月ほどで別の所から噴水!。腹を立てて自分で修理することにした。分解して、ケーシングとインペラをプラスチック樹脂でコーティングしてみた。これが大成功!。以後2年に1回分解、コーティングしなおして結局軸受けにヒビが入るまでの19年間、このポンプのめんどうを見続けたのである。

  ポンプの主軸は錆びないステンレスだが、本体(ケーシング)やペラのステンレスは“虫食い穴”状の錆が広がる。分解して硬化剤をまぜた不飽和プラスチックを流し込む。なにしろ50万円(当時)以上のポンプなので、最低でも10年以上は使えなければならないと思っていたのである。   

118 アラカルト⑩パソコン再生

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  水族館で使用している私物のパソコンが壊れた。メンテナンス係の次男に調べてもらうと「これはグラボ(グラフィックボード)が死んでいる。1万円ほどかかりそう」と言われた。分解して引っぱり出されたグラボをながめて「ショートのあとも過熱のあとも無いぞ。うち(桂浜)は塩風が強いから、塩分とここ数日の湿度による漏電は考えられないか?」と聞いてみた。「まあその可能性もあるけど、ゲジゲジ(集積回路)はブラックボックスだから・・・」。私は消毒用のアルコールでグラボを丁寧にふいてから「ものはためし、これでやってみて」。次男は「まさか??」と言いながらセットしてスタート!。「あれれ!起き上がったぞ!」。父親として“もったいないおやじ”としての面目躍如の瞬間であった(平成14年7月)。しかしそれから2ヶ月ほどして、ハードディスクがトン死!!。バックアップをおこたっていた、2年半分の大切な写真と文書が消滅してしまったのである。

  現在のパソコン基盤(集積回路など)は防水コーテイングされていて漏電には強い。しかし水族館は常に塩風にさらされている所。塩分は強力な漏電作用がある。分解して洗浄・強力乾燥で漏電が治る機械は多い。

117 アラカルト⑨小便小僧作戦

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  桂浜水族館には3本の海水取水井戸がありそれぞれ7,5KWの水中ポンプが座っている。毎分1tもの海水を吸い上げているので、冬場の大潮の干潮時には、水位が下りすぎてポンプの大部分が露出してしまう。水中ポンプはまわりの水を冷却に利用しているので、本体が露出してしまうとモーターの温度が上がりすぎて、保護回路が働き自動停止する。井戸がもう少し深ければいいのだが、今さら望むべきもない。そこで考えたのが小便小僧作戦である。一番浅くて度々自動停止する井戸の給水パイプに小さな穴をあけ、本体部分におしっこをかけるように細工してみた。その結果、それまでより40cmほど水位が下っても、自動停止をしなくなったのである。しかしこの小便穴は、時々砂粒でつまってしまう欠陥があり、手をやかせてくれる(昭和61年2月)。

  ポンプの入れ替え工事をしているとき、この細工を見た相棒が「まるで小便をかけてるみたい」と言ったのが、この名前の由来である。

116 アラカルト⑧携帯復活

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  磯採集に出かけた時のこと。普段なら携帯電話はトラックに残して行くのだが、その日は連絡が入る可能性があったため、磯まで待って行き、呼び出し音の聞こえる所に置いて作業をするつもりにしていた。ところがその直前に、スッテンコロリンでザブン!!。大慌てでバッテリーを抜き取り、トラックに戻ってデフロスターに乗せ、3時間余り乾燥させた。そしておそるおそるセットしてスイッチオン!。しかし反応はナシ。地面に打ちつけてやろうと思ったが“もう1度だけ”と考えて、帰ってから無理やり分解、真水に一晩つけて脱塩。それから高温乾燥室で24時間余り。祈るようにスイッチオン!。ヤッター!みごと復活!!。データもきちんと残っていた。ただ1つ、待ち受け画面にシミが残り、私のお気に入りの女の子に大きな泣きボクロが出来てしまった(平成20年5月23日)。

  現在のスマホは防水がしっかりしているが、当時(10年ほど前)のガラケーは水没即アウトが常識だった。

115 アラカルト⑦冷却機

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  冷房水槽が欲しい言われて、中古の冷却機をもらってきてセットした(平成13年6月)。この機械の能力なら、22℃ぐらいまでしか下げられないだろうと思い、23℃に設定するよう指示した。2ヶ月ほどは順調に働いていたようだったが、ある朝水温が26℃を越して冷却機がオーバーヒートで自動停止していた。調べるとる設定温度が19℃になっている。聞けば「オウムガイは、どこも20℃以下で飼っている」と云う。私に内緒で設定を少しずつ下げて、半月ほど前から19℃にしていたとのこと。その後、気温の高い日が続いていたので、耐えきれず前日にオーバーヒートしたと思われる。そして「どうしても20℃以下で…」と言う。空冷式の冷却機の能力を上げるには水冷式にしてやればいいのだが、直接海水をかけるわけにはいかない。そこでビニールパイプを使ってみることにた。ラジエターには無理だが、圧縮ポンプや配管をグルグル巻きにしてその中に海水を流してみた。毎分2ℓほどの海水は出口では6℃ほど上がっていた。これなら1KW近い熱量になるので、見込みがあると思った。実際この冷却機は、この方法で3回の夏を19℃で乗り切ってくれたのである。

  私の時代の桂浜水族館では、経費節減のため冷暖房設備が必要な魚の飼育は出来るだけ避けるよう心がけていた。しかし若いのはそこをなかなか理解してくれなかった。

114 アラカルト⑥アカメ井戸

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   新井戸を掘るためのボーリング調査は、すべて無駄になってしまった(44 新築工事③ボーリング)と書いたが、その中に1ヶ所だけ、意味のありそうなデータが出ていた場所があった。湧水量はあまり多くない上、塩分濃度も海水の7割程度しかなかったが、水温が2℃ほど高かった。波打ちぎわからの距離によるものと考えられたが、この水は汽水域に住むアカメの飼育水に適しているのではないか、と当初から考えていた。その場所にアカメ用の井戸を掘ってくれるよう館長にネジ込んだ(平成2年1月)。費用は100万円余りかかるようだったが、重油代だけで年間10万円かかるボイラーが不用になる「10年以内に元が取れる」が説得の決め手だった。ボーリング調査時のデータは3月の1ヶ月たらずしかなかったので不安はあったが、結果は上々。この井戸は最高26.5℃最低は17.5℃で、アカメの越冬には充分な水温を維持している。

  150mm以上の雨が降ると濃度が下がり濁りもでるが、原水(3本のメイン井戸)との2℃余りの温度差は利用価値が高く、アカメ水槽のほかあちこちに引き込んで利用している。

113 アラカルト⑤二段掘り

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  新築に伴って新しく井戸を掘っていた時(昭和59年2月)干潮水位より1mほど掘り込んだあたりで岩盤に突き当ってしまった。毎分1tの海水をくみ上げると、水位は50cm余りは下るので、冬場の大潮時には水切れになるのが目に見えていた。「この井戸は使えません。場所を変えて掘りなおして下さい」と主張したが、館長も井戸屋さんも「どうしようもない」と首を振る。とにかくテストしてみようとポンプを入れてみる。やはり予想通りの所まで水位が下り、水中ポンプが顔を出してしまった。しかし井戸の中に入ったりして検討しているうちに、岩盤は井戸側のヘリに引っかかっていて、中央にはないように思えてきた。考えたすえ井戸屋さんに「この中にひと回り小さい井戸が掘れないかな?」と提案してみた。この二段掘りで50cm余り掘り込むことが出来、なんとか使用可能な井戸にすることが出来たのである。

  この“二段掘り”の50㎝が無かったら、度々の水切れで桂浜水族館自体の存続が、あやぶまれた可能性があったかも知れないと、今も思っている。

112 アラカルト④ウオーターパッキン

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  入社当時、桂浜水族館で使っていたポンプは、とても不思議なものに見えた。主軸のパッキン部分から水がザザ漏れなのだ。ポンプに関する知識は全くなかったが、これが正常とはとても思えなかった。何度もポンプ室に入り、2.2KWのモートルに連結されたポンプをながめていた。“あまりにも初歩的な質問かも知れない”と思い、ためらいながらポンプを管理していた“浪やん”に聞いたのは、2ヶ月以上も過ぎてからだった。以後私は浪やん弟子としてポンプと電気・機械等の設備類の勉強をすることになる(⑧もったいないの原点)。このポンプはごく普通の渦巻きポンプだが、設置場所がかなり高いため、吸い込み揚程に無理があり、回転軸からのエア吸いをおさえるために、水を流し込んでいるとのことだった。モレの水ではなく、ウオーターパッキンとして、わざわざ注水していたのだった(昭和46年11月)。

  ポンプは水族館の命!。“魚屋”として就職した私だが、これ以後“浪やん”の弟子としてポンプや機械類の勉強をさせられることになるのである。

111 アラカルト③誠丸漂流記

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   “釣りキチ”を自認する相棒の誠君は、自分の釣り舟を持っていた。しかし病に勝てず、その舟を残したまま先立ってしまった。遺族から処分の依頼を受け、検討の結果釣り舟ではなく展示水槽として使ってみることになった。係留されていた漁港から水族館まで6km余り、海上を運ぶことになった。波の静かな日を選び、6m余りのFRP舟に3人が乗り込み、手持ちのオールで漕ぎ出した。内湾のうちは順調だったが、外洋へ出てからは困った。対象物がないせいもあって、進行ぐわいが分からない。風も少し出て来て進路が定まらない。少し不安になりかけたころ、海上保安庁の巡視船がやって来た。フラフラと桂浜沖を漕ぎ進む様は、漂流船か不審船に見えたらしい。事情調取はされたが、おかげで水族館前の浜まで、曳航してもらうことが出来た(平成14年9月12日)。その舟は現在も“誠丸”と命名してリクガメ水槽として利用されている。

  防波堤の先端から桂浜まで約3km。時速2㎞あまりで漕げるはずなので「一時間半ほど漕げば…」と計算していたが、30分近く漕いでも進んだ感じがつかめなかった。私は「あと一時間頑張れ…」と言ったが、連れの二人はかなり不安な顔をしていた。

110 アラカルト②地下室の亡霊

亡霊
  潮番の時は地下の配電室に自分で作ったベッドで仮眠していた。ある時、変電トランスのうなる音以外は、全く何も聞こえないはずの空間から、不思議な音が聞こえてきた。キリキリ・・・??、カラカラ・・・???。いくら捜してみても音源がかわらず、これはその年の夏に亡くなった“2代目館長の霊が私に声をかけているにちがいない”と本気で信じてしまった。寒い冬の、北風の強い夜にだけ現れて「フォッフォッフォッ・タ~カ~ヤ~」と云ってるようにも聞こえた。私はその声を聞くと、3代目館長に対する不満をブツブツとぶちまけながら眠りにつくようになった。この亡霊との対話は10年余り続いたが、ある日突然終わりを迎える。地下室への給気用の大型シロッコファンを点検していて、この音に気付いてしまった。風が強い時、ガラリからの風圧が地下まで届き、ファンがかすかに回っていたようだ。その日を境に、この音は私にとってただの雑音になってしまったのである。

  二代目の寿一 館長とは13年間の付き合いだったが、その間“召し使い”のような扱いであらゆることをやらされた。当時は非常に不満だったが、亡くなってから「この人に附いていて良かった…」と思い返すことが、沢山あったと思えるようになったのである。

109 アラカルト①潮番

夜中の呼び出し
  桂浜水族館の海水井戸のアキレス腱は大雨(24命の水)と書いたが、もう一つ重大な欠陥がある。それは水切れ!。旧館時代よりも多い目に吸い上げているせいもあって、特別に潮位の低い冬場の大潮の時には、真夜中に度々水切れが起る。そのため井戸の干潮に合わせて、バルブを調整して取水量を絞り込み、井戸の干上がりをおさえて、水槽への給水が止まらないように、潮番をしなければならないのである。夜10時から4時間。干潮は毎日40分余りづつ遅れで7日間ぐらい。大潮は月2回あるので、結局11月から2月まで、月の半分は泊り込まねばならなかった。天候がくずれて波が立つと井戸の水位も上がるのだが、冬場は高気圧の張り出しで波は消え、ベタ凪になるほうが多い。現在は4本目の井戸を堀り、うまく調整できるようになってきた。しかし予想以上の引き潮で、真夜中に呼び出されることが、今でも年に数回以上は起っている。

  冬場の大潮は真昼にはあまり引かず、真夜中に大きく引く。それが春になると昼間の干潮のほうがよく引いて、潮干狩りシーズンになるのである。
プロフィール     ロリコンのおじん

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
桂浜水族館を縁の下から支えて半世紀。

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