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140 (新)標本作り⑬失敗

フンボルトペンギン
  さらに味をしめてペンギンやウミガメにも手を伸ばした。ところがこの辺りで私の“標本作り”がおかしくなってきた。フンボルトペンギンを埋めて一年余り、鳥の骨は細いのでこれくらいだろうと掘り出しにかかったがどうしても見つからない。散逸しないようにビニール袋に入れて砂を詰め込み、松の木から1m・電柱から2m。写真も撮ってあったが目印の杭が見つからない。そのあたりを掘ってみてもビニール袋が出てこなくてあきらめた。ウミガメは二年ほどで掘り出してみると、すでに手遅れ!。現場が排水路に近かったためか湿度が高かったようで、甲羅はもちろん足も頭もボロボロにくずれて、標本にはなってくれなかったのである。
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139 (再)標本作り⑫イルカ類

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  ミンククジラで味をしめた私は、それまでは海洋投棄されていた飼育中に死亡したイルカを標本にしてみようと思い立った。“捨てる”のは“もったいない”と考える男の本領である。解剖後の死体を夜がふけるのを待って、こっそり桂浜の片隅に掘った穴に埋め込んだ。ミンクの時とはちがい、肉がついたままなので何度か様子見堀りをしてみる必要があった。その際悪臭がもれるので、荒天時や真夜中に掘ってみたこともあった。結局2年半ぐらいがいいタイミングであることがわかったが、その間に一時的には3体のイルカ類が埋まっていることもあり、桂浜は私の秘密の死体処理場になっていた。最終的には、バンドウイルカ・オキゴンドウ・ハナゴンドウの全身骨格とオキゴン・ハナゴンの頭部の計5体を作り“ほねほねルーム”へ追加していったのである。

138 (再)標本作り⑪ミンククジラ(続き)


クジラヒゲ
  仕上げは先長から無理やりもらったクジラヒゲ!。冷凍庫の中で半年余り凍結乾燥状態になっていたのを水でもどし、整型しながら再乾燥。途中で折れて歯抜けになったところを含めて、シリコンで上アゴにはりつけた。クジラヒゲ付きの骨格標本は自慢出来るかも??などと、自賛しながら展示の検討にかかった。ふつう博物館などに展示されている標本類には、必ず”手をふれないで下さい”の掲示がなされているが、この常識に挑戦してみようと考えた。天井からつるして手の届かないところにあるものが多いが、私は子供の目の高さに置いて”そっとさわってみて下さい”と掲示することにした。そしてやっとそれまでに作った魚の歯の標本と共に”標本展示室(ほねほねるーむ)”がデビュー(平成11年8月3日)する事になったのである。

  “手をふれないで下さい”ではなく“そっとさわってみてください”は大成功!。4.5mの骨格標本は展示室の大スター。

  

137 (再)標本作り⑪ミンククジラ(続き)

ミンククジラ(さかさま)縮小済み
  すべては手さぐりだったが半年ほどして掘り出してみると、きれいに肉片がとれ油もぬけて、ピッタリのタイミングと思われた。しかし巨大な頭蓋骨の中の脳ミソはそのままの状態で残っていて、悪臭に悩まされながらの洗浄作業になった。高濃度の塩素液を取りかえながら、数日間漂白すると、悪臭もかなり消えてきた。あとは組立であるが、これは思ったより簡単だった。背骨や肋骨は、見かけどうりに並べてゆけばよかった。ただし、手のヒラの骨だけは困った。紛失しないように、特別にビニール袋に入れ、排水路の中へ沈めておいたので、全部そろっているのだが、並びかたが全くわからない。参考書の写真などを調べてみたが、結局縦・横・上・下もわからず、最後は適当にはりつけてしまった。(続く)

  頭蓋骨の洗浄は悪臭が酷かった。神経が通る10cmほどの穴からトングを差し込み、脳みそを崩しながら掻き出すのに手間取り周りからの不評を買った。

136 (再)標本作り⑪ミンククジラ(続き)

ミンククジラ(尾)縮小済み
  解体作業を見ていてその先が気になり、先長(船長)に聞いてみると「骨は廃棄処分」とのこと。「骨格標本を作ってみたいのでぜひとも桂浜にください」と頼み込んだ。身をそぎ落とした骨を市場の隅に集めるよう、先長が指示してくれたおかげで、90%以上(左手の肩甲骨から先が帰ってこなかった)が集まった。先長が自分の記念品にと、とっておいたクジラヒゲを見つけて「それもちょうだい」とねだった。もらってはみたものの経験は全くなかった。とにかく残った肉片と油分をぬくために、砂に埋めることにした。その日の夜中に桂浜の片隅に穴を掘り、ブルーシートを敷き込み、骨をならべて埋め込んでみたのである。(続く)

  寒波の中、真夜中に一人で軽トラから骨を引きずり下ろし、桂浜の隅っこの崖下に埋めた記憶は今もはっきりのこっている。

135 (再)標本作り⑪ミンククジラ

ミンククジラ
  私が魚類採集の基地として通い続けていた、室戸の大敷網にミンククジラが入網した(平成11年1月30日)。当時のお役所の通達によると“イルカ・クジラは網を切って逃す事”とか。しかし海況が急に悪くなり、作業を翌日にのばすことになった。めったに見られない作業になるだろうと思って、夜明け前に着くよう、室戸に向かった。ところが沖へ出てみると姿が見えない。自力で脱出したのだろうと、一同ホッとして通常の網揚げ作業を始めた。半分ほど進んだあたりで、沖の船の人々がさわぎだした。逃げたのではなくロープに絡まって死亡していたのである。これは望外の結果であった。通達によれば“死亡した個体は自由に処分してよい”とのこと。集落総出の解体作業となり、私にも畝肉のおすそ分けがあった。(続く)

  クジラ肉を食べたのは小学生の頃以来。その頃は南氷洋のナガスクジラ(半年~一年余り冷凍された肉)。獲れたてのコイワシクジラは別格だった。   

134 (再)標本作り⑩試作発表会

アオザメの歯
  私の息子達が入会していた“子供を虫歯から守る会”が親睦会で桂浜に来ることになった(昭和62年11月22日)。父親として何か特別なことをしてやれないか考えているうちに、作りかけて放置してある“魚の歯”のことを思い出した。大慌てで10個体余りを“標本”に仕上げた。と云ってもむき出しの歯をベニヤ板の上にビスやシリコンで貼りつけただけである。番号だけをつけてテーブルに並べ、説明パネルを横に立てた。展示するのも恥ずかしい、いい加減な作品だったが、手に持ってパネルと見比べられるようにしたのがよかったようだった。特に危険なするどい歯(アンコウやアオザメ)に人気が集まった。解説パネルを作ってくれたMが「これはなかなかおもしろそうですね」とおだててくれたので、調子に乗って、乾燥室のさらし首はどんどん増えていったのである。

  これをきっかけにして、後述のミンククジラの骨格標本の完成とともに、二階に標本展示室がオープンしたのである。

133 (再)標本作り⑨ネコザメ

ネコザメ
  私が歯の標本に力を入れはじめると、他の飼育員が妙な顔をするようになった。首を切り落とした魚の頭だけを乾燥室の棚にならべはじめたからである。みんなが不審がるのがおもしろくて一斉説明をせず、せっせと頭の乾物を作り続けた。その中で一番グロテスクだったのがネコザメだろう。四角ばっているその頭は、薄暗い乾燥室の棚の上から、こちらを見ている子供の顔のように見えることがあるらしく「あれだけはなんとかして」と言われたこともあった。

  ネコザメの頭は自分でも“ドキッ”としたことがあり、目につかないように隅っこで乾燥させた。

132 (再)標本作り⑧深海ザメ

深海ザメの歯
  大敷網漁に行った時(昭和60年6月)、かわったサメが市場に放置されていた。朝の漁で獲れたものだが買い手もつかないので海洋投棄されるとのこと。多分深海産の希少種だろうと思ってよく見ると、歯の形が特に変わっていることに気付き、その歯の部分だけ切り取った。その日の漁は大きなサメが多く、3mのシュモクザメと2.5m余りのアオザメとヨシキリザメが入網していた。ついでだからそれらの歯ももらって帰ることにした。その時に私の頭に浮かんだのが“魚の歯のコレクション”だった。この4種類のサメとシノノメサカタザメ、それにオオカミウオの歯もある。あとはマンボウやイシダイ・ウツボの歯はいつでも手に入る。いろんな歯を集めて、2階の空室を使って標本展示室を作ってみようとの考えがうかんできたのである。

  深海性の稀少種のカグラザメで間違いないと思うけど、イラスト係のマナティーが上下を間違えて描いてしまいました。

131 (再)標本作り⑦サケガシラ

サケガシラ
  非常にめずらしい深海魚のリュウグウノツカイが大敷網に入った。ホルマリン標本にしようと、館長に頼み込んだ(平成6年12月)。2m余りのアクリル水槽を作ってもらって、液浸標本になった。それからまもなく、今度はもっと珍しく、もっと大きいサケガシラを入手した。館長に相談すると「あの水槽も随分高かった。今度のは3mほどもあるし深さも50cm以上は必要になる。100万円以上かかるから、とてもじゃない」と言う。しかしこのまま捨てるのはもったいない!。みんなで知恵をしぼっているうちに、“平面展示”のアイデアが出てきた。それなら下部は塩ビで作れるし、深さも15cmで十分なので、なんとか予算が組めそうだとの結論に達した。平面なので、フタも薄いアクリルで作ったため、上から押すと大きな目玉が少しゆれて気味悪がられ、なかなかの人気である。

  この二つのホルマリン標本は今も二階の標本展示室のスターである。

130 (再)標本作り⑥ニシキエビ

ニシキエビ
  飼育中の3kg余りの大きなニシキエビが脱皮した。完全な抜け殻だったので、発泡スチロールの板の上に乗せ、尾ビレを広げ、足を1本1本配置よく並べ、長い触角を背中に回して細い針金で固定した。乾燥室に半月ほど置くと、簡単にきれいな標本になった。本来なら、これにアクリル樹脂などを吹きつけ、木箱に入れてガラスブタをして完成なのだが、横着者の私はベニヤ板の上にシリコンで貼りつけただけで、同様に作った小型のタカアシガニと一緒に、標本室に展示した。ホコリまみれにはなったが、数年間は標本の役目を果たしていた。しかしある朝、基板のベニヤ板を止めていた鋲がはずれ、2体一緒に落下!。再生不能の、バラバラの状態で床に散らばってしまっていた。

  きれいな脱け殻だったので、標本箱を作って展示すれば何年も先まで標本としての価値があったはずだが、私のいいかげんな性格のせいでバラバラになってしまったのである。

129 (再)標本作り⑤オオカミウオ

オオカミウオ
  高知で“北海道物産展”が開かれた時(昭和60年2月)北の海の魚の代表として、オオカミウオが展示された。終了後当館が引き取って、2年ほど飼育していたが、冷却機の不調で昇天してしまった。もう二度と手に入らないと思い、記念品として頭だけをストッカーに放り込んでおいた。本人も忘れていたが、数年後ストッカーを整理していた後輩が「こんなの、もう“捨てます”よ」と凍結乾燥でカラカラになった頭を放り出した。アニメの“忍玉乱太郎”の霧丸君が“小銭”に異常な反応を示すように、私は“捨てる”と云う言葉には、非常に敏感である。手に取ってよく見ると、上下不揃いの歯が乾燥によってむき出しになっていて、これは歯の標本としておもしろいのでは?と思い“捨てるな高谷”と書いて、ビニール袋に入れ、再びストッカーに放り込んだ。そしてさらに数年間を過ごすことになるのである。

  こちらはホルマリン処理もせず放置していたので、痛みが激しくバラバラになる直前。シリコンでくっつけて、かろうじて形を保っている状態である。

128 (再)標本作り④シノノメサカタザメ

シノノメサカタザメ
  名前はサメだがエイの仲間、大型で形が変わっていて性格もおとなしいので、水族館向きの魚である。ごくたまに漁協などから連絡があり引き取りに行くが、なかなか餌付かない。確か3個体目(昭和55年秋)に、生きたガザミで餌付けに成功した。しかし開放式水族館の宿命である水温の低下には耐えられなかった。死体は大きすぎて、標本には無理がある。海洋投棄することになったが、その前に歯だけを切り出しておいた。敷石のような歯がズラリと並び、それ全体が波打つような形をしたおもしろい歯であった。まわりの肉をできるだけそぎ落としホルマリンに漬け、そのあと屋根裏に放置しておいた。いつの日か、日の目を見ることがあろうなどと考えていたわけではないが”もったいないおやじ”の私は、捨てるのは大嫌い!。それから20年余り過ぎてから、この歯が標本として、役に立つことになるのである。

  天井裏に長年放置されていたにもかかわらず、きれいなな歯の標本として残っていた。ホルマリン処理が良かったようである。

127 (再)標本作り③マンボウ

マンボウ
  飼育を試みても、すぐに死んでしまうマンボウをなんとか標本に出来ないかと、何度も試みた。表皮はサンドペーパーのようにザラザラで硬いが、その下に厚いコラーゲン層がある。これを乾燥させるのは大変だった。寒い冬なのに、すぐにハエが卵を産んでウジがわいた。乾燥と共にシワが出るので型がくずれないよう、当て木や竹ヒゴで引っぱるが、うまくゆかない。ある程度納得のいく形で乾燥させたのは、たまたま手に入った超小型(30cm)のマンボウ1個体のみ。それも後輩のMにまかせたものだった。私が手がけた80cm前後のものはついに完成品は1体も作れなかった。

  ウジがわいたマンボウの干物は、館長をはじめ他の従業員の不評を買って、それを隠しておく場所に苦労した記憶が残っている。

  

126 (再)標本作り②ホウボウ

ホウボウ
  Mの作るクルマダイをまねて、私はセミホウボウで作ってみることにした。何しろ大きな胸鰭が素晴らしい。身をぬいて胸鰭を広げて乾燥させると、簡単に素晴らしい標本になった。味をしめてホウボウにも挑戦してみた。しかし皮膚が柔らかく、身ぬきは大変だった。やっとの思いで整型し、乾燥させ、チョウの羽根のように美しい胸鰭と、歩けるように進化した鰭を組み立てた。ここまではなかなかうまくいったと思っていたが、体表の色落ちがはげしい。絵の具で補修を試みたが、絵が苦手な私は色をうまく出せなかった。納得のいく色付けが出来ず、しばらく放置している間に湿度の高い日が続き、カビのお化けに変身し。セミホウボウと共に、崩れ落ちてしまったのである(昭和50年秋)。

  絵心のあるMに対抗して作ったものの、私の色付けは全くダメ。それにイラレ(せっかち)の私の作品は乾燥も不十分だった。

  

125 (再)標本作り①クルマダイ

クルマダイ
  後輩のM(現・なんちゃって課長M)は、入社して間もなくのころクルマダイの剥製を作り始めた。密集した小さいウロコのため皮が厚く、身をはがしても体型がくずれない。乾燥させて紙粘土をつめ込んだだけで、きれいな剥製になった。大きな目はガラス玉(ラムネ玉)がピッタリ。絵心のある彼は、乾燥による色落ちを絵の具でうまく補修した。それは標本と云ふより、インテリアや芸術品を目指す感じだった。私はその作品の目玉の裏側に銀紙を貼るアイデアを出した。クルマダイの目はアカメの目と同様にライトが当たると赤く光るのだが、それを見事に再現することが出来たのである(昭和50年秋)。

  旧館時代、クルマダイやモンガラカワハギなど、彼は次々ときれいな剝製を作っていったものである。

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プロフィール     ロリコンのおじん

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
桂浜水族館を縁の下から支えて半世紀。

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