fc2ブログ

166 (再)失恋⑬まさこ

164_20230525101047596.jpg
  失恋シリーズの最後は“まさこ”。私の水族館人生をかけた失恋である。
私には桂浜に来る前から結婚を考えていた“雅子”と云う女性(⑪天国から地獄)がいた。私の優柔不断ゆえに見捨てられ、当時はかなり落ち込んだ記憶がある。その後、マンボウの飼育を始めた時、忘れられずひそかに“まさこ”と名付けた。その個体が長期飼育に成功(⑱世界記録)、新聞・テレビの取材を受けた時“昔の恋人の名前”と公表してしまった。以来、35年間に捕獲した256個体のマンボウをすべて“まさこ”と名付けることにした。しかしいずれも、私の愛を受け入れてはくれなかった。短いものは数日から半月ほど、100日以上付き合ってくれたのは13個体。最長の“まさこ・92・a(1992年度1番目の個体)”でも818日間(平成3年12月3日~6年2月28日)で、私の元を去って行った。私の“まさこ”への愛は永遠の片思い!。

  マンボウの“まさこ”との出会いがなかったら、多分私は水族館の飼育員をあきらめて別の道を探していた、と今も思っている。
スポンサーサイト



165 (再)失恋⑫まさ子

163_202305251010421d2.jpg
  まさ子は女房の姪で、大阪に住んでいる。小さい頃は、毎年夏休みに母親の実家(私の下宿先)に帰ってきた。動物好きの頑張り屋で、水族館に遊びに来ると、お魚をすみずみまでながめ、アシカやカメにエサをやり、ペンギンと遊んで、プールで泳ぎ、丸一日を過す。初めて会ったのは彼女が5歳の夏。ロリコンの私は一目でこの子が好きになり、3歳の弟をダシにして線香花火で遊び、おっぱいがふくらみ始めるまでは、お風呂にも一緒に入った。私が義母に釣りあげられた(⑳釣られた飼育員)のは、撒き餌(朝食)よりも本餌(女房)よりも“まさ子”の魅力が大きかったのかも?と思うこともある。高校生になってからは帰って来なくなったので、なんとか高知へ来させたいと思い、20歳になった頃、私のお気に入りの男と見合いさせようと計画したことがあった。しかし時すでに遅く、つき合っている男がいて、22歳で結婚。今は3人の子育てに奮闘している。ちなみに彼女の本名は森昌子!!。

  まさ子の長女も当然私のお気に入り。小さい頃は何度も高知へ来てくれてロリコンの私を楽しませてくれたが、その子も昨年結婚してしまった。

164 (再)失恋⑪ポン太

162_20230525101100e8b.jpg
  ポン太ちゃんは、私の息子の嫁候補(77 実習生③嫁候補1番ポン太ちゃん)と公言している。私の1番のお気に入りの娘である。ただし恋人や愛人のような見方をしているのではない。アイドルへのあこがれとか、ファンとかのイメージと思ってもらいたい。しかし本当のところは、この娘に遠い昔に失恋した(⑪ 天国から地獄)女性の影を追っていたと思う。容姿は全く似たところはないのだが、性格はかなり似ている。目標をきちんと持っていて、信念に基いて行動し、人にたよらず何でも自分で解決しようとする。近くで見ていて気持ちのいい娘だった。私は“嫁候補”の名目でお食事にさそい、デート(お魚の採集)を強要した。しかし仕事での行きづまりに手助けをしてやることが出来ないでいるうちに、彼女はイルカやお魚に見切りをつけ、牛やヒツジを相手の「カウボーイ(ガール)になりたい」と、ニュージーランドへ行ってしまった。私の好意(セクハラ)から逃れる意図もあったのかも知れない。

  ニュージーランドのポン太ちゃんからは、今も年賀メールが届くので嫌われているわけではないと思っている。

163 (再)失恋⑩庸胡

161_20230525101039815.jpg
  ヒメイトマキエイを初めて見た時(22 高根の花)は、その優雅さと色っぽさで、高校時代に憧れていた、同級生(122 星空ナビ②)の庸胡(ヨーコ)さんをイメージした。以来、秋には庸胡に会いたくて大敷漁に通った。ヒメイトマキエイは室戸ではヒラと呼ばれ、10月から11月の、静かでよく晴れた青空が続く時に入網すると聞かされていた。もちろん飼育に挑戦してみたい気持ちはあったが、とても手が出せる相手ではない。翼長2m余り、40kgほどもある上、動きは非常に速い。大型水槽とか麻酔薬などを考えてはみたものの、結局“庸胡”はながめるだけで満足しなければならない高根の花であった。

  桂浜では無理な魚だが、現在は多くの水族館でもっと大きいオニイトマキエイも飼育されている。

162 (再)失恋⑨ソウ子

160_20230525101057d52.jpg
  釣り人はソウシハギのことをヤクザと呼んでいる。室戸や足摺の磯では、グレねらいの撒き餌に、たくさんのウスバハギが集ることがある。そんな時、突然ウスバハギにイレズミを入れたようなハゲが現れ、まわりを蹴散らして餌を横取りして廻る。これがソウシハギ!。どう見てもピッタリのアダ名だと感心させられる。だから親魚は好きになれないが、幼魚の“ソウ子”は可愛い。流れ藻のホンダワラに、同じ模様でかくれている。大敷網の中の流れ藻を凝視し、ほんの少しの動きや色の違いから、ソウ子を見つけた時の喜びはなんとも云えない。漁港の船だまりにいることもあるので、5~6月頃にはソウ子を求めて漁港回りは今も続いている。しかしソウ子は見かけによらず病気になりやすく、あまり長生きしてくれない。愛情をそそいで見守っているにもかかわらず、2~3ヶ月で私のもとを去っていくものが多い。

  私も磯釣りファンなので、大きくなったソウシハギは顔つきも憎たらしいが、“ソウ子”は可愛い。

161 (再)失恋⑧カジ子

159_20230525101058a58.jpg
  室戸の大敷網漁に通っていると、時たまカジキマグロを見かけることがあった。3m近い大物を見ても、とても飼育とは結びつかなかったが、1mたらずのバショウカジキに出合うと、もう少し小さかったら水族館へつれて帰りたい、と思いをめぐらせていた。それがある時、すばらしいものを見つけた!。大敷漁に行った時は、必ず前回の漁の選別クズを調べるのだが、カゴの底にはり付いた、3~5㎝のグッピーのような濃紺のヒレを見つけて飛び上がった。これはまさしくバショウカジキ!!。以来毎年7月には“カジ子”を求めて朝の漁に出かけていった。かなりむずかしいだろうと思っていたが、実際は予想以上だった。採捕できたのは、10年ほどの間に20尾余りだったが、玉網ですくっただけで体表はキズだらけ、水槽内ではパニック泳ぎ!。生きたまま桂浜まで帰りついた個体はなかった。“カジ子”に恋する心は消えないが、私には手の届かない存在として、あきらめざるをえなかったのである。

  室戸の大敷網の朝の漁に乗船するには、自宅を午前3時前に出なければならず、恋心よりも体力のほうが続かなくなった。

160 (再)失恋⑦おじゃる子

158_2023052510105547c.jpg
  NHKアニメの“おじゃる丸”の口が左右から閉じるのを見るたびに、クサビフグのことを思い出す。中学生のころだったと思うが、図鑑で“この魚の口は左右から閉じる”との記述を見たことがあった。脊椎動物の口は、すべて上下に閉じる構造になっているはずなので、この記述は不思議でならなかった。実物を見たのは桂浜に来て間もなくの頃。恩師から「かわった魚を見に来ないか?」と連絡を受けて研究室をたずねた時である。室戸で獲れて、すでにホルマリン漬けになっていたが、口は確かに左右から閉じた。マンボウの仲間なので、口には上下に立派な歯があるが、体にそって少し長く伸びてしまった唇が、呼吸に引っぱられて左右から閉じる構造になっていた。つまり女性の外性器と同じと思っていただければいい。めずらしい魚なのであちこちの大敷網に声をかけて、探しまわったこともあったが、おじゃるちゃんと同じ口の動きをする、恋しい恋しい生きた”クサビフグ”には、まだ出合っていない。

  私はアニメ“おじゃる丸”の大ファンです。

159 (再)失恋⑥まだ子

157_20230525101052ff5.jpg
  マダコは毎年5月から9月頃まで潜水採集(92磯採集⑦マダコ)で入手する。手づかみでスカリ(採集ネット)に入れるので、吸盤に吸いつかれた内出血によるブツブツが、手首のあたりにたくさん出来ることもある。年によって変動は大きいが、多い年は1時間ほどで10個体も獲れたことがあった。飼育・展示はむずかしくはない。縄張りを作ってケンカするので、水槽内に棲みわけ出来るようにしてやれば良い。ただし水質の変化、特に塩分濃度の低下には非常に弱い。大雨が降り続いた時(24命の水のアキレス腱)の最初の犠牲者になる。マダコがグッタリしても、お魚はもちろんサンゴやイセエビもまだ大丈夫。非常時の塩分濃度チェック動物として重宝している。しかしマダコの寿命は短い!。毎年10月になるとメスは棲家の天井に卵を産み、それを1ヶ月ほど守ってから、力尽きて死んでゆく。私は毎年“まだ子”に恋して海へ潜る。“まだ子”は必ず半年以内に、私に別れを告げる。

  元々多い年と不漁の年の変動が激しいマダコだが、ここ数年桂浜周辺ではほとんど姿が見られない。

  

158 (再)失恋⑤モモ子

156_2023052510105398a.jpg
  “モモ子(モモイロペリカン)”は、私より半年おくれの昭和47年2月に来館、当時はまだ幼鳥の毛色が残っていた。人工飼育されたとのことでよく慣れていて、餌バケツを持ってケージに入ると、すり寄ってくるのでとても可愛くて気にいっていた。ところが間もなく、ノドから出血していることに気付、館長に報告すると「キズ薬をぬってやれ」と云われた。そこで馬乗りになってクチバシをこじ開け、ノドの奥へ抗生物質の軟膏をぬる作業を3日間続けた。これが大失敗!。キズは治ったようだったが、モモ子は私から逃げ回り、餌を受け取らなくなってしまった。他の者が投げる餌は大きなクチバシを広げて上手にキャッチするのに、私が近づくと逃げるばかり!。以後31年間、私の投げる餌は絶対に受け取らなかった。モモ子には死ぬ(平成15年7月)まで、嫌われ続けたのである。

  「嫌われているから…」と給餌係を何度も交代して貰い間隔をあけてみても、モモ子は私の仕打ちを忘れてくれなかった。

157 (再)失恋④モジャ子

155_20230525101050bbd.jpg
  恋しい“モジャコ”は、5月頃になると流れ藻と共にやって来る。大敷網漁の船から身をのり出すようにして、流れ藻に目をこらす。小さい魚がチラッとでも動くのが見えたら、大きい玉網(目は細かい)で藻をそっくりすくい揚げる。2~3㎝のモジャコが、多い時には100尾以上入っていることもある。東支邦海のあたりで産卵したブリの卵がフ化して、黒潮に乗って土佐沖まで流れて来る。養殖業者が沖合で採捕しているので、大部分の藻はその獲りカス。大敷ではモジャコ付きの藻は少ない。つれ帰ったモジャコ達は、どんどん食べてどんどん太る。8月頃には30㎝近くまで大きくなるが、その頃になると病気にかかり、バタバタと死んでゆく。飼育水温が少し高過ぎるのが原因と思われる。開放式で飼育している桂浜の宿命なのである。モジャコはブリにまで育つことなく、私の元を去ってゆく。私はこりずに“モジャ子”を求めて毎年大敷網へ通う。

  モジャコは白点病にかかりやすい。タイミングが合えばうまく治療できるが、水温が高い時は全滅することも多い。

156 (再)失恋③ツル子

154_20230525101050852.jpg
  カンムリヅルは頭に金色のかざり羽根をつけた、とてもきれいな鳥である。その“ツル子”は人によく慣れていて、新入社員の私の手のひらの米つぶを1粒づつ食べてくれるので、すぐに好きになった。ところが数年後、突然変身してしまう。鳥は恐竜の子孫と云われているが、その通りと思えた。草食のはずのカンムリヅルが、カモメに与えたイワシを横取りしはじめてから間もなく、狂暴な爬虫類に変身したかのように、人間におそいかかるようになってしまった。長年世話をしていた古老の係員に飛びかかって白髪頭を血だらけに!。その人が恐がってケージに入らなくなると、若いアルバイトの男子を押し倒して、肩と背中をかきむしり、次には新入社員(現、なんちゃって課長M)の耳たぶに穴をあけた。観光客へも金網越しに攻撃をするようになったので、私は大好きだったツル子をケージの奥の小部屋に、幽閉せざるをえなくなってしまったのである。

  現在の“なんちゃって課長Ⅿ”の耳たぶに40年以上前の傷跡は見えないが、彼自身には“怖かった記憶”としてはっきり残っているとのことだった。

155 (再)失恋②あん子

153_20230525101050460.jpg
  あん子(アンコウ)は、飼育の難しい魚(28アンコウ)の1つである。3月から5月にかけて、室戸の大敷網で獲れることがある。しかし大切にあつかわないと、すぐにヒレやアゴに炎症が広がって死んでしまう。非常に怖がりのようで、玉網などを見てパニックをおこし、狂泳によって自傷するようだ。毎年数回しかないチャンスを利用して、飼育に挑戦し続けた。あん子が私の作った疑似餌に初めて反応した時(昭和50年5月16日)は興奮で眠れなかった記憶がある。第一背鰭の変形したルアーを振った翌日、餌として投入したヒイラギをみごとにさそって食べてくれた。しかし餌付けには成功しても長期間の飼育は不可能だった。冷房設備のない桂浜水族館では、毎年6月はじめ頃には水温が20℃を越してしまう。耐えられなくなった恋しい“あん子”が、静に私の前から去ってゆくのを指をくわえて見ているよりなかったのである。

  アンコウの飼育水温の上限は18℃くらいといわれている。桂浜で初めてエサを食べた時の水温はすでに限界を超えた18.5℃だったのである。

154 (再)失恋①ミドリ

20081025152835_202212141619368b7.jpg
  ミドリ(ミドリイソギンチャク)に出合ったのは、桂浜に来て間もなくのこと。磯歩きをしていて、クサミドリ色の体に純白の触手、黄色い口器の“ミドリ”を見つけて一目ボレだった。郷里の鳴門の磯では地味なヨロイソギンチャクしか見たことがなかった。子供の頃、イソギンチャクは女性性器に似ているから不潔なもの、きたならしいものと教え込まれていた。しかしミドリは全くちがう。美しく貴品のただよう高貴なイメージ(私が大人になって女性性器に対する考え方が変わった?)で、大喜びですぐに採集に取りかかった(87磯採集②シドリイソギンチャク)。しかし、見つけても硬い岩の割れ目に逃げ込まれ、うまく採取出来ずに引きさいて殺してしまうことも多かったし、めったに見つからないこともあって、そのうち採集をあきらめざるをえなくなった。私の恋しいミドリ様は、今も桂浜の磯のどこかにひっそりと・・・。

  ミドリイソギンチャクを求めて干潮時の桂浜の磯だけでなく、足摺や室戸の磯も回ったが、見つけた数は少なかった。

153 (再)失恋(序)

151_20230525101045127.jpg
  私はNHKアニメの“おじゃる丸”に出てくる“電ボ君”と同じく、誰にでも何にでも恋をするタイプの人間のようである。桂浜に来て39年になるが、その間に電ボ君に負けない、数々の恋をした。しかしすべて失恋に終っている。お魚達はもちろんのこと、イソギンチャクからタコ、ペリカン、ついでに人間の女性(女房を除く)を含めて、思えば失恋のつみ重ね!。振られても嫌がられても追いまわすストーカーをくり返し、恋しくて恋しくて必死で探しても見つけることさえ出来なかったり。やっとこちらを振り向いて、心を許してくれかけたと思ったとたんにお別れが来て!、くやし泣のくり返し。その中のいくつかの失恋をふり返ってみたいと思う。

  私の恋人(?)達をご紹介します。遠い昔のお話です。

    
プロフィール     ロリコンのおじん

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
桂浜水族館を縁の下から支えて半世紀。

かうんた
カレンダー
02 | 2024/03 | 04
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR