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218 (再)桂浜百景⑮クロマツ

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  クロマツは海岸の防風林として古くから活用され、風景画などにもよく登場する。桂浜にもたくさん自生(多分)していて、直径50cmから1mちかいものもある。私の知る40年余りの間に台風や松喰い虫のために、ずい分少なくなった。しかし新しく植えられたものも多く、かなり生長してきている。水族館の敷地(高知市からの借地)内にも太い松が10本ほどあり、そのうち1番太い木が桂浜水族館の入口の“門かぶり”になっている。植木が趣味(⑥飼育員の仕事???)だった先々代の館長は、新築当時「この松が枯れたら水族館も終り」と大まじめに話していた。それから27年が過ぎたが、この松は今のところ健在ではある。

  館内の10本ほどのクロマツは、ほぼすべて200年ほど生きて寿命が近づいていると思われる。しかし私の桂浜での半世紀での間に、枯れたのは1本だけである。

  


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217 (再)桂浜百景⑭竜宮橋

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 桂浜のシンボル、竜王岬のお宮への登り口に10mほどのコンクリート製の橋がかかっている。平成元年にかけかえられたが、以前の橋には“大正14年”とあったので昭和の時代をそっくり生きぬいてきたことになる。有名な室戸台風(昭和9年)や、昭和45年の10号などの、巨大な台風の大波に耐えてきた。同じ場所に造りなおされた“竜宮橋”であるが、鉄筋コンクリートの本体は大丈夫と思うが、ミカゲ石の欄干はちょっと心配である。これまでのあまり大きくない台風の洗礼で、はやくもグラつきが出ている所がある。大正時代の作品に負けてしまうのは、まちがいなさそうである。

  この記事を書いたのは2011年7月だが、案の定ミカゲ石の欄干はこの12年間に二度ほど台風にやられ、修理が必要になったのである。

215 (再)桂浜百景⑬台風の波見物ⓑ

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  台風が沖縄を過ぎて、種子島に近づく頃には報道もにぎやかになる。すると桂浜には波見物の客がふえてくる。台風の波は周期的に大小をくりかえし、見ている者の心を癒してくれる作用があるようだ。遊歩道を歩きながら、又砂浜に座り込んで波をながめる。繰り返し繰り返し押し寄せる波は1つ1つちがった顔をしていて見あきることがない。かなり危険を伴うが、若者や子供達が波遊びをする。公園管理事務所からの「波打ちぎわには近づかないで…」の放送が流れても気にも止めない。人出の多い夏休み中などは、アルバイトの監視員がハンドマイクで注意してまわるが、イタチごっこできりがない。台風の波の怖さを知っているつもりの私にはハラハラものだが、次々と入れかわる見物客をコントロールするのは、不可能と思われる。

  たび重なる事故(26人命救助失敗・27人命救助成功・番外悲しい事故(2011年8月))に、高知市は夏休み中は監視員を常駐させるようになっている。

214 (再)桂浜百景⑬台風の波見物ⓐ

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  台風の波は台風の強さではなく、大きさのほうに比例するようである。気象衛星の写真に写る、丸い雲の塊が大きいほど、大きな波を送ってくることに気付いた。まだ1500kmの彼方にいる時でも、雲の範囲の広い台風なら、立派な波を桂浜まで送り込んで来る。沖縄に向っている頃なので、本土まではまだ3~5日ぐらいはかかるため、天気予報では説明があっても、ニュースには取りあげられない時期である。しかし波は沖合から頭をもたげ、数列のスジになって桂浜へ押し寄せて来る。この頃の波を堪能できるのは、常に桂浜で働いている者の特権だろう。私はヒマがある時は、海面から20mほど高い竜王岬のお宮の横で、この時期の波をながめたものである。完全な安全圏と思っていたこのお宮で、たった1度だけだが巨大な波シブキをかぶったことがある。台風の波は偶然が重なることによって“突然巨大な波が出現することがある”ことを思い知らされたことであった。

  『千に一回の大波』と云う言葉もあるそうな。しかし私がかぶったのは、おそらく『万に一回の大波』だったと思う。

213 (再)桂浜百景⑫大波の反射

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  橋本大二郎前高知県知事は、桂浜のすぐ東側、浦戸湾入口の種崎海岸に高知新港を造った。太平洋に面した外洋港なので、台風の大波を受け止める巨大な防波堤が必要になる。十数年を要してその堤防が少しづつ伸びてゆくに従って、桂浜にはある変化がおこりはじめた。台風の波が思惑以上に打ちかけて来るようになったのである。永年台風と向き合ってきた私は、台風の大きさ・強さ・コースによって波の大きさを推測出来ていたが、その予想をはるかに超える波が打ちかけて来るようになってきたのである。原因は高知新港防波堤によって押し止められた波の反射である。小さな台風でも信じられないくらいの所まで波が打ち上ることもあった。ここ数年、大きな台風は高知を避けて通っているようだが、昭和45年の10号クラスが来たら、新港堤防の反射波と重なってどんな大波になって打ちかけて来るかと、気をもんでいるところである。

  台風のうねりとその反射波が重なって巨大な波になる確率はあまり高くはないようだが『巨大波』は必ず起こるのである。











  

212 (再)桂浜百景⑪大波の力

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  台風の大波は、長い年月をかけて硬い岩を侵食してゆく。桂浜のシンボル竜王岬の下にある磯は、永年の大波に耐え残った岩なので非常に硬い。そこはいい釣場(57釣り採集①チヌⒸ釣り場)なので、足繁く通った。足場の悪い所があったので、石ノミで削ろうと試みたが全く歯が立たなかった経験がある。その硬い岩を少しずつ、又は根こそぎはぎ取ってゆくのが台風の大波なのである。この40年間に私が確認しているだけで、直径5mほどの大岩がころんでいるのが5件、裏側のトンネル状になった所の天井が、大きくはがれ落ちたのが2件。釣場の上の、道具置場にしていた直径1.5mほどの岩に、ヒビが入っているのを見つけてから3年後の秋には、半分に割れ、半月ほどの間に次々と海中へ消えていったのを見届けている。

  桂浜のシンボルである竜王岬を浜からながめているだけでは全くわからないが、現場(釣り場)はかなり大きく変化しているのである。

211 (再)桂浜百景⑩大波と堤防

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  台風の大波は猛烈な破壊力を持っている。桂浜の龍馬像のすぐ下に、釣人が“旧堤”と呼んでいる(57釣り採集①チヌⒸ釣り場)50mほどの突堤がある。入社(昭和46年)間もなくの頃、水族館の隣のおみやげ店のおばあちゃんが「あの堤防は、あてい(私)の亭主が昭和28年の台風のあとで作った。それまでの堤防は誰が作ってもみんな流された」と自慢していた。ところが高知県は40年以上大波と戦ってきたその堤防を「古くて見苦しい」からと、壊して作りなおすことにした。それがなんと、石組みだけで作ったのである。私はあきれて言葉も出なかった。どうやら太平洋の大波を知らない人間が、テーブルの上だけで設計したのだろうと笑っていた。案の定、3年後の小さな台風で半分流されてしまう。それから毎年のように流されて、4回目の修理の時に、とうとう石組みの間にコンクリートを流し込み、全体を固めてしまった。しかしそれでも、この堤防は20年も持たないだろう。台風の大波を知らない者が設計したことを自然は許さないと私は思う。

  地球温暖化のせいなのか、このところ大型の台風はほとんど出来ていない。昔のような大波はもう10年以上見かけていないので、この堤防は今のところは無事である。

210 (再)桂浜百景⑨台風の大波

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  大きな台風が北緯20度あたりから日本をうかがっている時、桂浜には大波がやってくる。台風の波は、遠くにいる時ほど波長の長い波になり、その波は砂浜を削り取るように作用する。台風が接近して波長のつまった波になると砂を盛り上げるように働く(206桂浜百景⑥砂の移動)。また満潮時の大波などで、遊歩道を越えて打ち込んだ波に運ばれた砂は、取り残されて盛りあがり、歩道よりの下の砂は引き波が削り取ってゆく。昭和59年の移転新築の前の旧水族館は、現在より100mほど東側にあり、少し低い場所だったので、度々台風の波が打ち込んだ。特に私が桂浜に来る前年(昭和45年)の台風10号は、旧水族館を壊滅させた。大波は建物を打ちぬき、館内に50cm以上の砂を運び込んだとのこと。復旧のため半年近く休館させられたそうである。

  昭和46年に入社した私も、45年の台風10号の残していった砂を一輪車で掻き出したものである。

209 (再)桂浜百景⑧お月見と初日の出

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  私には年に2回大雨になって欲しいと願う日があった。それは元旦(初日の出)と仲秋の十五夜(お月見)である。お月見の夜は、高知市の主催でイベントがありたくさんの人出がある。水族館もそれを目論んで夜間営業をするが、入場者はほとんどいない。みんな浜辺にシートを敷いて飲み食いをする目的で来ているので仕方がないのだが、問題はその後である。ほとんどの人が引きあげた頃、酔っぱらいが館内に侵入してイタズラをしてくれるのである。イルカプールにゴミ箱を投げ込み、ペンギンを追いまわす。また初日の出を見るために、真夜中に集ったグループが、寒いので浜でタキ火を始める。燃やす物を探して侵入し、トロ箱だけならまだしも、木製のベンチやテーブル、旧館時代には板塀を10m余りも壊されて燃やされてしまったこともあった。館内に警報を設置するまでの20年余り、私は夜間の巡回をかかせなかったのであった。

  現在はセンサー警報をセット。宿直員もいるが、昭和の頃は私の夜回り(ボランティア)が欠かせなかった。

208 (再)桂浜百景⑦砂浜の消失

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  桂浜は10km余り西側にあるに仁淀川が吐出した砂利によって、出来た浜である。しかし仁淀川に作られた大型ダムや、コンクリートの骨材として海砂利の採取による海岸の浸食が問題になり始めて、桂浜の西海岸に砂止めの堤防が次々と作られるようになった。台風のたびに、桂浜の砂は堤防をのりこえる波によって東側に流されるのに、新しい砂の補給が無くなったのである。その結果、桂浜は痩せ細る一方。私が桂浜に来た40年前と比べて、少なく見積っても30%以上の砂が消失している。27年前の移転新築時に作った井戸(49新築工事⑧新井戸)は、当時は30cmほど砂に埋るように設計したのだが、現在は砂が少なくなってしまったために、50cmほど顔を出した状態になってしまっているのである。

  桂浜には水族館の海水取水井戸が五本あるが、そのうちの一本は四角いコンクリートの井戸枠が砂浜に露出している。見苦しいので私が度々砂をかけて埋めていたが、それも無理なほど砂が減ってしまっている。

207 (再)桂浜百景⑥砂の移動

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  台風などで桂浜に大波が打ちかけた翌日には、砂浜の形が大きく変わっていることに驚かされることがある。ある時は龍馬像下の突堤の横に小山のように盛り上り、ある時は竜宮橋の下の磯を埋めつくす。注意して見てみると、波の発生源が砂を動かす起点になっていることに気付く。台風が沖縄方面から登ってきて沖合を通過したあとは、東側に押しやられ、晩秋に関東沖から波を送ってきた台風のあとは西側に山を作る。そして遠くの台風による波長の長い波は、砂浜をけずり取るように働き、接近してきた時や普通の低気圧のような波長の短い波は、砂を盛り上げるような作用があるようである。

  桂浜の砂をながめて半世紀。私は天気予報で台風の位置や大きさ・スピードを見るだけで、 翌日の砂浜の形が推定できるようになっている。

206 (再)桂浜百景⑤春の嵐

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  春一番と呼ばれる春の嵐は、水族館のためのおみやげを置いていってくれることがある。夏から秋の台風による大波で、桂浜に海藻類が打ち上ることはほとんどないが、春の嵐のあとにはたくさん打上げられる。これらは草食性の貝類やウニなどのエサとして、たいへん重宝する。さっそくゴミ袋にいくつも集め、それを小袋に分けて冷凍しておくのである。しかしこのようなチャンスはあまり多くない。日本近海の海藻類は、主に冬場に繁茂するので、台風シーズンにほとんど見られない。春限定になるのだが、岩に強くはり付いた海藻を根こそぎむしり取るような大波を起す春の嵐は、数年に一回ぐらいのことも多い。春の恵みとして集められるだけ集めて備蓄しておく必要があるのである。

  冷凍のホンダワラやフタエモクは、アメフラシやムラサキウニなどが大喜び。

205 (再)桂浜百景④宝の山

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  台風のあとの桂浜には、ゴミに交ってごくわずかだが有用なものも漂着する。永年波に洗われて風情の出た流木や、ヤシの実もその一つだが、漁業用のロープやブイにも役に立つものが交っている。しかしもっといいものが釣り具である。ゴミに交って赤や黄色のウキが見つかる。ウキは釣糸が切れると流されてしまう消耗品なので、私は安物しか買わないが、千円・2千円のウキも多いし中には作者の銘入りの5千円以上のものもある。他にもイカ釣りの餌木やスズキ用のルアーも。台風の翌日には、相棒と2人で早朝から浜歩き。お互い獲物を見せあったものである。

  台風明けの朝は早朝に浜歩き。相棒と競いあって、桂浜の本浜だけでなく、東浜・西浜も回ってウキやルアーを探して回ったものだった。

204 (再)桂浜百景③ゴミの山

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  台風の通過したあとの桂浜には、いろんなものが漂着する。特に台風が桂浜の西側を北上するコースを通った時は最悪である。大雨で川から流れ出た物が、吹き続く南風に運ばれて打ち揚るのである。草木やハウス農業用の廃ビニールのほか、山崩れによる雑木・根こそぎ流された杉の大木などもある。漁業用の網・ロープ・ピン玉、それにプラスチック製の容器類などの、あらゆるゴミで埋めつくされることもある。そんな時は、ふだん桂浜の清掃を担当してくれている老人クラブでは、手も足も出ない。5つの台風が次々と上陸した平成16年の夏などは、ひと夏中建設会社の重機が入り、ブルドーザーの浜になってしまったこともあった。

  平成16年の夏はひどかった。あまり大きくはない台風達ではあったが、コースが土佐湾の西側を北上するタイプが多く、桂浜に打ち上げられたゴミはハンパではなかった。


203 (再)桂浜百景②五色石 

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  桂浜のおみやげに“五色石”と云ふのがある。白赤緑のおはじきぐらいの大きさの石を袋に入れただけのものである。初代館長の永國亀齢は、桂浜の砂利に赤や緑の石がたくさん交っていることに気付き、これをおみやげにすることを思いついた。そしてそれは昭和35年頃のペギー葉山の“南国土佐をあとにして”の大ヒットによってもたらされた、高知の観光ブームとともに有名になっていった。“五色石”と名付けられたアメ(菓子)まで売られるようになったほどである。私が高知に来た頃(昭和40年)には、桂浜とその西海岸に“石拾いのおばちゃん”がたくさん見られた。結構なアルバイトになっていたらしい。しかし昭和の終る頃にはほぼ姿を消した。“砂の真砂子”は拾い尽されてしまったようで、桂浜には赤や緑の小石はほとんど見られなくなってしまったのである。

  五色石は、桂浜の西側10㎞にある仁淀川が吐き出した岩石が起源であるが、昭和40年代に着工した大渡ダムによって排出がピッタリ止まってしまったようである。

202 (再)桂浜百景①私と桂浜

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  徳島県生まれの私が、初めて桂浜を知ったのは、小学校の修学旅行。雨の日に水族館で海亀の腕を引っぱって、水シブキをかけられ、ビショ濡れになった記憶は53年を経た今もはっきりと残っている。その後中学3年の時、写真部の暗室で自分のネガの焼付けをしていて、乾燥機のローラーの中から見覚えのない風景写真が出て来た。先生に聞いても「知らない」と云うので、自分のアルバムに入れておいたが、それが桂浜の写真であったことに気付いたのは、高知大学に入ってからのことであった。大学卒業とともに一度は高知を離れたが、運命の糸に引かれるように、桂浜に住みつくことになった。何度か見切りをつけて(⑥飼育員の仕事)桂浜を離れようと真剣に考えたこともあったが、恋人との縁を切らせて(⑪天国から地獄)まで、桂浜は私を離してくれなかったのである。

  “運命の赤い糸”と云うのがあるが、中学生の時の写真が桂浜の全景であることに気付いた時(高知大学一年生)、私は少なからぬ“運命”を感じたと記憶している。
プロフィール     ロリコンのおじん

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
桂浜水族館を縁の下から支えて半世紀。

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