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285 (再)(続)大敷網漁の魚達①ホウボウ

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  白身でおいしい魚。煮付けやお吸物用に人気がある。水色の大きな胸鰭に、きれいな水玉模様。赤っぽい体が目立つので、大敷網がせばまってくると、私はすばやく玉網を出して自分の水槽へ取り込む。少し油断すると、他の魚に埋もれてしまって自慢の胸鰭がズタズタになってしまう。ホウボウは浮袋を使ってホーボーと鳴くので有名な魚だが、他にも胸鰭が変形した“足”を使って海底を歩く、ユニークな生態でも知られており、どこから見ても水族館になくてはならない魚なのである。

  ごくまれに舟釣りの人から持ち込まれることもあるが、入手はほぼ大敷網漁に限定される。

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284 (再)恩人(追加)⑰義母(続き)

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  義母は腰の軽い機転のきく人で、周囲から頼りにされていた。そんな人の娘だから(親を見れば育ちがわかる…)と、ほとんど付き合いもせずに結婚を決めてしまった(後の祭り)。女房は理論派で頭はいいのだが腰が重く身体は動かない。親が先回りして手助けをすると、このようなタイプに育つ人間もいるようなのである。「出来の悪い娘を押し付けるのだから、ちゃんとフォローもしなくちゃ…」と思っていたかは不明だが、子育てでは随分助けられた。イロイロと理屈をこねる女房を「ほらほらシャンシャン動かんと…」と尻をたたいてくれた。長男が熱を出してる時に水族館から呼び出しがあって、女房がグズると「この子は私が見てるからムコ殿は水族館へ…」と云うようなことも何度か。脳出血により67歳の若さでで急死してしまったが、この人無しに私の子育てと水族館人生の両立は、ほぼ不可能だったと思えるのである。

283 (再)恩人(追加)⑰義母

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  恩人として非常に重要な人物“義母”を追加したい。義母は寿一館長夫人の実家(呉服屋)の店員(番頭格)で、館長夫人が水族館でやるべき事務や雑用の手助けも受け持っていた。そんな関係で館長は義母に「今度うちに若いのが来ることになったので下宿を探してやって」と。義母は手を尽くしたあげく、自分の伯父(元海軍大佐)を説得して私のための間借りを確保してくれた。その後も私にイロイロと世話を焼いてくれた末、出来の悪い娘を押し付けてきたのである(続く)。

282 (再)恩人⑯追加

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  「私の人生の最大の恩人について書いてしまったので、このブログも終了に…」とイラスト係に云ふと「まだ1人忘れていませんか?昔の恋人まで出ているのに奥さんはどうなんですか」と云われた。「女房は空気みたいなもので、恩人と云えるか…」と答えたら「そんなこと云ふ人とは思わなかった。奥さんを恩人と思わないような人を“おとうさん”とは呼べないので嫁候補(76実習生②嫁候補)からはずしてもらいます(マナティーは嫁候補15番)」と云う。仕方ないので女房にも一言。「私の40年余りの水族館人生をまっとう出来たのは、あなたが毎日作ってくれた弁当のおかげです。ありがとう」。

  私の水族館人生は女房の犠牲の上に成り立ってきた。ブツブツと不満は口にしていたが家事・育児は完全にまかせきりだった。これからは女房孝行もしたいと思う。

281 (再)恩人⑮かあちゃん

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  恩人の最後はこの人。私に“人生”なるものを与えてくれた人である。幼少の頃から自然に親しみ、草木や生き物を大切にすることを教えられて育った。しかし思春期には「産んでくれとたのんだ覚えはない」と云って反抗したこともあった。彼女は私を公務員にしたかったようで、高校卒業の時、警察官を奨められて合格していた。しかしほんのちょっとしたまちがいか、それともDNAに書かれてあった運命だったのか、私は別の道へ進んでしまったのである。今、その道の終点(定年退職)を通り過ぎて見返すに、この道もまた彼女が私のために用意した道だったようにも思える。現在95歳になる母が、このブログを読むことは考えられないが、ここでこっそり「かあちゃん産んでくれてありがとう」と云っておきたい。

  母は2021年11月に104年と5ヵ月の天寿をまっとうした。痛い・苦しいも言わず眠るような大往生とのことだった。

280 (再)恩人⑭まさこ

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  “まさこ”が恩人にあたるかどうかは解釈に苦しむのだが…。学生時代から付き合っていて、大阪の魚市場へ就職した頃には結婚したいと思っていた。しかし市場での仕事は1年余りで行きづまりを感じて転職、桂浜にやってきた。ところがこちらの仕事も待遇も思惑とは大きくちがい(⑥飼育員の仕事)とても結婚を言い出せる状況ではなくなった。結婚するならもっと別な仕事を考えねばならない…。悩ましい日々が続いた。そんな時、煮え切らない私に彼女からの最後通牒(⑪天国から地獄)が届いた。その結果、この仕事を続けるかどうかの決断を先送りしたことで、イルカ(⑭イルカ入館⑮300円)やマンボウ(⑯マンボウとの出合)にめぐりあい、水族館人生をまっとうすることになったのである。彼女との結婚を選んで桂浜を離れていたら、どんな人生を送っていたか今となっては想像もつかない。彼女の決断は、結果として私を桂浜に引き止めた。そう考えると彼女は、私と桂浜にとっては恩人と云えるかも…。

  プロポーズさえすれば必ず受けてくれると信じていた“まさこ”だったが…。“逃がした魚は大きい…”。時々自分のふがいなさを思う(そして、これは避けることが出来ない運命だったと自分を慰める)。

  

279 (再)恩人⑬山田先生

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  中学1年の担任は山田耕三先生。 今思えばこの山田先生のひとことが私の人生を決定してしまったような気もする。私は5人兄弟の3番目。2人の兄も弟も、小学生の頃から卓球をしていて、中学では当然のように卓球部に所属していた。しかし私は運動神経が鈍くて、卓球には興味を持てずにいた。その頃の中学では、全員何らかの運動部に入ることになっていた。山田先生の「クラブの決まってない者は手を上げろ」との声に手を上げたのは私1人だけだった。「よし、高谷は水泳部だな」と勝手に決めておいて先生は自分の担当する水泳部員をやっと1人だけ確保出来たことを喜んだ。3年生2人、2年生3人、1年生は私だけの6人の水泳部が、私の水族館人生のスタートだったのかも知れない。大学でお魚の勉強をしたのも、水泳部で鳴門の海を泳ぎまわったことが引き金になった気がする。水族館では水泳部の経験が非常に役立った。と云ふより、水泳部に入ったことが、私を桂浜水族館へと導いていったのにちがいないと思えるのである。

  山田先生による“強制入部”が私の水族館人生のスタートだったと今も考えている。

278 (再)恩人⑫山口先生

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  山口順彦先生との出逢いは、いくつもの偶然(奇跡とも思える)が重なっているので、これはもうDNAに記された運命としか考えられない。高知大に合格したのもほとんど奇跡だったが、私が1年留年しなかったら、山口先生とはすれちがいで、出来の悪い学生を担当しなくて済んでいたのである。先生はそのバカ学生を無理やり卒業させてホッとしていたら、1年ほどして助けを求めてきた。そこでたまたま話があった桂浜水族館の求人(これも運命的な偶然)に、そのバカが飛びついたのである。その先も先生の研究テーマだったオオニベの採集(165定置網漁)や趣味が磯釣りだったことなど、私を桂浜水族館に押し留めておく、大きな力になった。私と桂浜と山口先生は、運命の糸ではっきりと結びつけられていたのは、まちがいないのである。

  磯釣りのお供をしただけでなく、魚の病気や水族館の新築時にイロイロとアドバイスももらった。私の人生の師なのである。

277 (再)恩人⑪山岡先生

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  山岡不二男先生は、漁師の息子とのことで、素潜り漁が得意だった。日本海の荒波できたえられた泳ぎは右に出る者はなく、学生達の尊敬を集めていた。私も泳ぎには自信があったので、度々先生のおさそいを受け、磯遊びをした。しかし太平洋の大波は、私の育った鳴門の海とはケタちがい!。先生の助言がなかったら磯の上を転がされ、ズタズタになっていたかも知れないような事もあった。学生時代の先生の講義については全く記憶に残ってないが、磯遊びや釣りだけでなく、マージャン・囲碁など、ずい分お世話になった。私が失恋した時(⑪天国から地獄・272恩人⑦まさこ)には、徹夜で相談に乗ってくれたこともあった。人生の恩人として、忘れてはならない人なのである。

  新婚の先生宅へ毎晩のように遊びに行って、奥さんに「高谷さん日曜日だけは来ないでね」と言われたこともあった。

276 (再)恩人⑩枝川丸

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  もう1人の釣りの師が枝川丸。この人はタクシードライバーで、釣り場は主に新堤(57釣り採集①チヌⒸ釣り場)だった。宇田丸とちがって大物狙いの枝川丸には、夜釣りを中心にイロイロな釣りを学んだ。チヌはもちろんスズキ・コロダイ・イシダイ・クエなどの他、イセエビ釣りも教わった。この人は釣り場の特徴を知りつくし、季節・場所・時間(潮位)によって狙いを変えシカケを替えていった。釣り場で見かける度にこの人の横に場所を取った。外道をもらえる利点はもちろんだが、この人の理論と技術は、そばにいるだけでずい分勉強になった。しかしこの人から学べたのは2年足らず、突然「遠くへ引っ越すから、もうここには来られない」との言葉を残し、桂浜の新堤から姿が見えなくなってしまったのである。

  この人に教わった夜釣りに行って死にかけた(12死神のリスト)こともあった。
プロフィール     ロリコンのおじん

もったいないおやじ

Author:もったいないおやじ
桂浜水族館を縁の下から支えて半世紀。

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